晴れ姿
”晴れ姿”、”晴れの舞台” などで使う ”ハレ” とその逆の ”ケ” の概念の話が、昨日、外国人に日本語を教えた資料の中に出てきた。日本人、我々のような70歳を過ぎた人たちには、懐かしく聞こえるようになった言葉でもある。
そうした概念を、今の若者に教えるのも大変だが、ましてや外国人となると、尚更、大変なことになる。今の子ども達、若者には ”ハレ” という概念は存在しないようである。少なくても昨日教えた外国人には分からなかったようだった。
よそ行きの服
その昔、親から「よそ行き(ハレ)の服」と「普段(ケ)の服」は分別するように言われた。タンスのしまう場所も違った。何か行事があると、「よそ行きの服」を着て、「よそ行きの靴」を履いて出かけたものである。そして家に帰ると、そうした服や靴は、次回の「ハレの日」のためにしまい込まれた。そのように子どもの頃からしつけ育てられた。未だにその癖が直らない。
日常的になった ”ハレの日”
現在では、外食するのも普通になり、かって ”特別(ハレ)だった日” も ”普通(ケ)の日” になった。連休になれば、色々なレジャー施設に出かけ、家族で楽しむ。最近では連休を利用して出かけた外国で、知り合いに会った話まで出る始末である。それだけ、日常的になった ”ハレの日”。
懐かしい高度成長期
1950、60年代の高度成長期を経て、戦後の貧困から脱し、世界に肩を並べ、1970年代には、世界をリードするような高度成長を遂げた日本。後進国と言われる外国に出かけては、「日本では・・・・」を連発し、日本が世界のモデルかのように話した。
しかし最近では、労働者が足りず、電車が遅れるという。少子化のため働く世代の人口が少なくなってきているからであり、経済の陰りも見られる。
旧態依然の「市長報告会」
昨日、市長選挙に向けての現職市長による「市政報告会」が行なわれた。後援会組織が集めた聴衆はたくさん集まり駐車場が不足する有様。このAIの時代に、近隣の市長、県会議員、国会議員が応援演説を行なう。後援会のお歴々が壇上に集まり、それぞれの演説を拝聴する。来賓として市会議員や近隣の市会議員までが参列。会場一杯に集まった市民。正に、市長の ”ハレの舞台” を見届ける、旧態依然とした「市政報告会」風景だった。
かっての同僚が市長候補に
日本各地で、市議候補がいない、市長候補がいない現象が現れている。我が市でもいまのところ対立候補は現れていない。そして、近隣の日立市では、現職の市長の対抗馬として立候補した人物がいる。顔を見てびっくり仰天である。同じ会社に勤めていた後輩が立候補したのだ。東北の高専を卒業し入社してきた後輩。立候補の理由が述べられている新聞記事を読んで納得。対抗馬のいない市の状況を見て立候補したと言うのだ。
どこまであいまいになる、”ハレとケ”
一昔前だったら、一介のサラリーマンだった人間が市長選に立候補するなんて考えられなかったが、こうした選挙にも ”ハレ” と ”ケ” の区別があいまいになってきたのである。
そういえば、男女の別もあいまいになってきた。