ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

学歴なんて問題じゃない!

外国来た中学生、最後の授業

 昨日、夏休み期間中だけという約束で、日本語や数学を教えていた、外国人中学生(実際は、この9月から日本の中学校に編入する)の最後の授業だった。

 昔もそうだったのだろうがとうに忘れた。数学といえども、文章問題が厄介なのだ。外国の中学校を卒業してきた中学生に、「調理実習」とか「材料費」とかの言葉が出ていて意味が分かるはずもない。この子は、6月に来日したのだ。こうした日本語から教えるのである。カタカナ・ひらがなは書けるし、読める。でも、ふりがなで、「ざいりょうひ」と読め、発音出来ても、何のことだか意味が分からないのである。

 

その中学生からのプレゼント

 その子が、昨日は最後の授業ということで、プレゼントをくれた。本当ならお断りするところだが、ありがたく頂いた。そして、その中に手紙が・・・。

10回程度の授業で、ここまで書けるようになりました。

 ボランテアをやっていて、これが、最大の喜びである。中学三年生の文章にしては、幼稚と思えるが、あと半年の間に、学校で友達が増え、高校生になる。その頃には、立派な文章も書くようになるだろう。漢字も殆どが読めるようになった。数学の文章問題も、アドバイスを受けながらだが、解けるようにもなった。高校生として頑張れるようになることを、父親のような気持ちで見守りたい。

 

24時間テレビのランナー、兼近

 8月のこの時期、24時間テレビという番組がある。夜通しやる番組で、チャリティ募金集めもやる番組である。そこに、番組の間中、夜を通して走る走者がいる。第一回目は、間寛平だったようだが、今回は、お笑い芸人の「兼近」こと、兼近大樹である。100㎞走破が目標とされた。番組は長いので見なかったが、走ることだけを取り上げた2時間程度の番組を見た。

 

笑顔が絶えない

 過去の走者は、数十キロも走ると、あっちが痛い、こっちが痛い、と苦悶の表情を見せたものだが、今回は、走りながら行き会う人、行き会う人に、手を挙げ愛嬌を振りまく。そのうち、手が挙がらなくなってきた。恐らく、足より先に、手に支障が出るランナーも初めてだろう。それでも、笑顔で挙がらなくなった手を挙げながら走るのである。休憩所では、サポートのメンバーに面白いことを言っては笑わす。

 

家族を背負う、中卒

 小学校までは両親が揃っていたが、中学校に入ると、両親が離婚した。母親や姉・妹と苦しい生活をしていたらしい。将来の夢もあったが、中学校卒業時、高校進学をあきらめ、就職という道を自分自身で選んだ。さすがに母親は苦しくても高校進学を望んだようだったが、家庭を支える道を兼近が選んでくれたことを知っていた。兼近の気持ちを考えると、それでも高校進学をとは言えなかったらしい。

 

貧乏芸人の典型

 そして、色々な職を転々としながら、家庭を支え続けた。そして、同じお笑い芸人、又吉の本を読み、お笑いの道に入ったらしい。そして、今は「りんたろう」と組んでお笑いで人気が出だした芸人である。つまり、貧乏生活をして苦労してなった、芸人の典型のような人である。

 

考え方が、凄い!

 本人が言う。「今まで、世の中の人に散々迷惑をかけてきた。俺の言動・行動で、不幸になった人だっている。そういう人たちに謝りたい、お礼をしたい、という気持ちで、毎日やっている」「俺の笑顔で、一人でも、頑張る気持ちになったらいい」「自分が目立とうとか、裕福になろうとか考えていない。みんなに生かされていると常に思っている」

 そして、あちこち痛むはずだ。でも、笑顔を絶やさない。

 

学歴が問題じゃない

 コロナ禍で、政治家・官僚が目立つ時代だ。「俺が、日本を救うんだ。日本は俺でもっている。俺が考えてやらなきゃ、誰が考えるんだ」などと、自分一人で日本を背負って立っているように思っている御仁もいるだろうが、中卒でも、こんな考えの立派な人だっている。学歴が問題ではないのだ。

 外国から来て、日本の中学校に編入した子も、何時か立派になって、日本の社会を背負うか、母国を背負うか分からないが、活躍することを期待したいものだ。

夏が終わる

4回目接種の後遺症

 今月の19日に、4回目のコロナ予防接種をやった。当日、翌日と倦怠感に襲われたが、それはそれで何とか終わった。ところが、その翌日辺りから、頭の奥深いところで ”ズキーン、ズキーン” と頭痛が起きだしたのだ。風邪ひく前兆でも起こるあの症状だ。常時するのではなく、時々、襲ってくる。その時は、思わず顔をしかめ、時には、涙まで出るときもあった。それが先週1週間続いた。そして、昨日あたりから、頭の中の遠い彼方での、”ズキーン、ズキーン” に変わった。余り気にはならなくなった。いつになったらこれが無くなることやら。

 

セミの抜け殻

 さて、夏も終わりだ。子どもたちの夏休みも終わりである。毎日、日曜日の私も、今日は、ゴミを出す日なので、家じゅうのゴミ入れに入っているごみを集め、外にもって出る。縁側のところに出しっぱなしになっているサンダルを履き、外へ出ようとしたら、「キュッ、キュッ」と水を含んで鳴る。そうだ! 昨日は結構すごい雨だった。

 すると、途中で、セミの抜け殻に気付いた。腹を空に向けコンクリートのタタキに転がっている。秋だなぁー、俳句の一句も詠いたいところだが、そんな能力もない。

 

「夕焼け酒場」

 私のテレビの三大番組の一つに、「夕焼け酒場」という番組がある。”きたろう”が、お酒の飲めるアナウンサー?、女の子と夕方から夜にかけての酒場でお酒を酌み交わす、ただそれだけの番組である。若い女の子と話しながら酒場に入っていく様子、そして、酒場の主と言葉を交わす。酒場を始めたきっかけ、主の生い立ち、珍しいメニューが出てくれば、それを作り出した経緯などなど。さりげないやり取りではあるが、何とも ”ホンワカ” とさせる番組なのである。

 

かっての、アパート

 もう、40年以上も前に遡る。北品川に私の職場があった。電車なら、山手線品川駅で降り、京浜急行に乗り換え一つ目の駅、北品川駅で降りる。昔は、駅口は第一京浜に面していた。そこから7,8分ほど歩けば、我が家の社宅アパートである。そのアパートには、会社の同僚が数人住んでいた。職場は、このアパートから第一京浜の信号を渡り、京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街を通って、海の方へ向かって約15分ほどである。

 最寄駅は、先ほどの北品川駅の一つ先の南馬場駅だが、今では、この部分が高架になり、その間に新駅(新馬場)も出来た。

 

職場、工事センター

 会社は、工事センターで、事務所の人間、約10人ほどと現場の人間数十人の所帯の事務所である。仕事が終わると、会社の先輩(事務所内では、私が一番若かった)たちと、麻雀や酒飲みに付き合った。その場所が、アパートに帰る途中の北品川商店街である。職場も家も同じ場所だから、家族ぐるみのお付き合いという訳である。お互いの奥さんも子どももよく知っている。家庭事情だって良く分かるご近所さん同士だったのである。

 

私のとっての「夕焼け酒場」

 そして、飲みに行く場所が、多分 ”牧野” という名前だったような気がする。会社帰りに、先輩たち、3,4人と酒を飲みかわすのである。まさに、「夕焼け酒場」である。

 7割は遊びだが、3割は仕事の延長のようなものだった。職場の話もたくさん出た。人間関係の話も出た。今は、コロナである。リモートでの仕事だってある。ああいった、「夕焼け酒場」のような話をする機会は、今の若者にあるんだろうかと考え込んでしまう。(ネットで調べたら、”牧野”は、まだ、あった!!!! 下の写真)

私の昔の「夕焼け酒場」、北品川 ”牧野”

中国人受験生

 夏休みだけという約束で、中国人の受験生に日本語・数学を教えてきた。それも今日で終わりだ。日本語が全く話せない子である。少しは慣れたかな、と心配は尽きない。

 でも、今どきの子だ。何とかするだろう。笑顔が少ない子だ。今日は、友達との会話の仕方を教えてみよう。上手に会話し、日本人の友達ができることを期待して・・・。

 日本での新しい学校生活も始まる。

優勝旗、”勿来の関” 越え

高校野球、決勝戦終わる!

 夏の高校野球の熱い戦いが終わった。大阪桐蔭を破って決勝へ進出した「山口国際」と初の東北出身校の優勝を狙う、「仙台育英」との決勝戦である。結果は、県予選・甲子園での戦いを通じて、チーム初のホームランが満塁ホームランとなった、仙台育英が、8-1で山口国際を破り、深紅の優勝旗の ”白河の関越え” を果たした。

優勝の歓喜(いずれも、読売新聞から抜粋)

 関東以北以外の方々には、知名度も今一つかもしれないが、「白河の関」は、関東(栃木県)と東北(福島県)を分ける大きな関跡である。高速道路で言えば、東北自動車道、新幹線で言えば東北新幹線などの幹線を関東と東北で分ける要所となっている。

 

勿来(なこそ)の関

 私は、太平洋岸に住んでいるが、関東(茨城県)と東北(福島県)を二分するのは、「勿来の関」である。幹線道路や線路で言えば、常磐自動車道常磐線ということになる。「勿来」は、「來る勿かれ」という意味だと小学校の頃教わった記憶がある。東北は、それほど、田舎の蝦夷地だったわけである。しかし、マスコミも誰も、東北に深紅の優勝旗を運んだことを「白河越え」とは言うが「勿来越え」とは言わないのが、実に寂しく、悔しいものがある。

 

両校監督の熱い思い

 今回の優勝を果たした両チームの監督の心情はどちらも熱い。車を走らせながら、テレビのスイッチを入れたら、「宮城の皆さん!東北の皆さん!おめでとうございます!」の第一声が聞こえた。「あれ? 誰のインタビューだ?」と一瞬思った。内容を聞いてみると仙台育英の優勝監督挨拶だった。普通だったら、「宮城の皆さん!東北の皆さん! 皆さんのお陰で優勝できました!」が第一声になる。

 

優勝校監督の挨拶

 なぜ、こういう挨拶になったのか、考えてみた。普通の挨拶だと、自分と自分のチーム、生徒たちの優勝というのが大きくクローズアップされる。しかし、監督の挨拶だとあくまで監督は優勝の後押し役、「主人公は、宮城・東北の皆さん」という思いが強かったのだろう。「宮城・東北の皆さんの学校の後押しが出来て、本当に良かった」との思いが出ている。その後挨拶にも、涙ながらに語る監督の熱い思いが、滲み出ていた素晴らしい挨拶だった。こちらまで、テレビを通じて聞こえてくる挨拶に目頭が思わず熱くなった。

 

準優勝校監督の熱き思い

 そして、山口国際の監督である。17年前当時の校長先生に野球部の指導をやらせて欲しいと手紙を送ったという。当時まだ学生で教員になろうとしていたというが、自分の学校の近くにある山口国際の野球グランドの荒れ具合を見て、指導してやりたいと手紙を送ったという。そして、少ない人数の部員を相手に指導を続けた。途中、他校から好条件での監督就任の誘いもあったというが、校長先生との約束をしっかり守り、誘いを断り、17年後、ついに、準優勝まで漕ぎついたという。

 

コロナ禍での高校生活

 高校野球というのは、高校生たちが、一生懸命、力一杯熱い試合を魅せるが、テレビに映る選手ばかりではない。控えの選手にさえなれない背番号のない部員たち、応援の人たち、支援する学校の先生たち、父兄たち、そして監督が、これだけ試合に懸ける姿を見せたら、視聴者も夢中になるはずだ。これが世界に誇る、日本人の心情かもしれない。

 コロナ禍で、「僕たちが過ごしてきた高校生活とは全く違うんです」という、優勝校監督の言葉が身に染みた。両校とも、本当によく頑張った! お礼を述べたい。

観客席の皆さんにお礼を述べる選手たち(読売新聞から抜粋)

 

携帯「メモ帳」機能が使えなくなった!

便利な、携帯「メモ帳」機能

 ”ブログに書こう!”と思うことは、毎日、たくさん思い浮かぶ。ところが、それを書こうとして、翌朝になり書く段になると、すっかりそれらを忘れてしまうのである。そこで、ある時から、携帯の「メモ帳」機能を使いだした。思いついた時に、ポイントだけチョットメモしておくのである。これで、大分スムーズになった。ところが、ここにも落とし穴があった。家の中にいるときは、携帯を机の上などに置きっ放しにしておくことが多いことから、面倒になり「メモ帳」さえ使わないことが多くなってきた。

 

「メモ帳」機能使えなくなった

 そして、ここ数日前から、その「メモ帳」も使えなくなった。メモ帳に記載出来ないばかりか、記載したものも消せなくなってしまった。「容量が一杯です」のような注意が出たので、メモ帳に記載してあるもの等を消そうとしたが、消すことも出来なくなった。

 

不可解な携帯電話の契約

 そこで、auに飛んで行った。すると、機種の容量が小さく、アプリでそのほとんどを使ってしまい、記憶させることに使用できる容量が元々少ないということが分かった。しかも、SDカードを入れていないために要領も小さいままになっていることが判明。また、携帯をいじっているとすぐ熱を持つので、そのことも聞いてみたら、バッテリーが寿命なのかもしれないという。交換するには修理代がかかるというので、新しい機種で検討始めた。4メガの容量までで、2100円というから、それでお願いしますと言うと、色々計算してくれて、機種代は、2万なにがし、それに月々4800円になるという。なぜ、2100円ではないのかと聞くと、携帯が壊れたときとか紛失したときとかの保証保険などが植えのせされるという。更に、新しい機種にしたときのデータの移し替えで、その費用も何千円とかかるという。何がどうなっているのか、年寄りには良く分からないので、考えることを止めた。

 

4回目、コロナ接種

 先週の金曜日に、4回目のコロナの接種を受けてきた。1,2回目とも副反応なし。3回目副反応があったが、殆ど通常と変わらずだったので、今回も、大したことないだろうと思っていたら、3時半に接種を受けて夜8時には、もの凄い倦怠感が襲ってきた。「なんじゃ、これは!」というほどのモノ。ともかくベッドに横たわり、寝れるかと思っていたが、何となく寝てしまったようだ。そして、翌日、いつものボランテアに行く。気力が萎えそうになるのを我慢して終えて家に帰り、更に、ベッドに横たわる。体の色々な機能が駄目になっているような感覚である。寒くもないのに寒気のようなものを感じたり、ともかく普通じゃないのである。しかし、その感覚も夕方には消えた。結果的に熱も出なかった。

 

岸田総理もコロナ陽性に

 そして今朝。岸田総理がコロナに罹ったという。4回目を終えて、まだ数週間だったはず。何のための接種なんだろうと考えてしまう。重症化させないためだとは言うものの、全て結果論なので、本当に、3回までで接種をやらなかったらどうだったのかは誰も分からない。これは医療関係者の陰謀なのでは?などと、大変失礼なことを想ってしまうのである。

 

分かり易くしてほしい!

 携帯電話の契約方法にしろ、コロナの接種の是非にしろ、良く分からないことが多過ぎる。これは、私が年寄りだからなのだろうか。もうちょっと、簡略化というか、分かり易くしてもらえないのだろうか。

 ちなみに、携帯は、SDカードを入れたら、要領が1.5倍にも増え、「メモ帳」機能も使えるようになった。auも、最初に、「SDカードを入れて下さい」と言えば、解決したものを。新しい機種を売りたいためなのか。

 バッテリーは古いらしいので、新しい機種に交換することにはしたいとは思っている。

 

新・コロナ病

中止・廃止の伝統芸能

 地方の ”祭り” が、いろんな形で縮小されたり、中止・廃止されたりしているらしい。今朝の偉い学者さんの話である。コロナ禍の影響だ。コロナが、日本の伝統芸能の及ぼす影響は計り知れない。

 我々の地域でも、天王祭、防災訓練など、色々んな行事や会議が延期や中止になっている。工夫すれば何とかなりそうなものも、「あのせいで、コロナになった」と言われたくないために、延期や中止にするのである。日本人は、人のせいにするのが好きだ。自己責任が社会通念になっていないのである。

 

コロナ感染に対する感覚の違い

 数日前も、ボランテアでやっている日本語教室の開催で、アメリカ人から茨城県の感染者が増えてきたので、中止になるのではとの懸念から、「やるのか、やらないのか」を聞いてきた。それを日本人が聞くと、「やるなら、あなたたちの責任でやるのですよ、良いですね」と言っているように解釈する。だから「自己責任で、出席してください」という羽目になる。恐らく、このアメリカ人は、「やるのか、やらないのか」を聞いたに過ぎないのだと思う。ボランテアか営業かはしっかり見分ける外国人なので、責任云々には厳しいはずだ。

 

疎遠になる人間社会

 こんなわけで、本来だったら、みんなで顔を合わせたの式ワイワイするはずのお盆休みも、寂しく年寄り一人で過ごした人も多いようだ。

 田舎は別としても、都会に住んでいれば、店に行かなくても美味しいものがセレクト出来、注文できる。そして、マンションのドアの前まで運んでくれる。

 パソコン一つで、あの大混雑の通勤列車に揺られなくても、また、朝の貴重な時間、通勤時間を使わなくても、家で在宅勤務ができる。

 

”気付き”の少ない社会

 こうした業界が、コロナ禍で大いに発展し、皆が活用するようになったのは、正にコロナ様様でもある。しかし、一方で、地方の伝統芸能は簡素化され、人人との対話も少なくなり、世の中の変化にも鈍感になりつつある。

 今まで毎日行っていたスーパーで何気なく見ている陳列棚の陳列方法に気付くこともないし、売り場にいる店員が変わったことも気付かない。

 

なかなかマスクが外せない

 毎朝やっているラジオ体操でも、私はマスクはして行かないが、8割の人はマスクをして駅前広場まで行き、マスクをしたまま体操をしている。自己責任なので、それはそれで良いが、顔の半分を覆い隠しているので、顔の表情が分からないどころか、どこの誰かさえ分からなくなりつつあるのである。

 

新コロナ病

 学校ではどうなんだろうか。喜怒哀楽を感じるのは、目の表情と体で伝えるジェスチャーしかない。微妙な心の揺らぎを伝える表情が分からないのである。

 「スマホ病」というのがある。目や手など色々なところにスマホの使い過ぎで起こる病気である。同様に、第六感が鍛えられるべき日常生活の行動制限により起こる、「新コロナ病」が心配である。

 表情で読み取ることが下手になり、言葉でのみ相手の要望を感じ取るようになるのだ。「阿吽の呼吸」など、何時しか忘れ去られる社会である。

  

  

ロシア・中国への贈り物

終戦77年

 今日で、終戦77年を迎える。1週間ほど前から、新聞記事では、太平洋戦争の末期の様子が、かっての日本軍兵士だった人たちの経験談として載っていた。どれも、これも悲しい記憶である。殆どの人が、傷ついた戦友を見殺しにして、戦地を離れる悲惨さを経験している。そして、それを心の奥深くにしまい込み、何十年もの間、誰にも明かさなかった人たちの話である。

 

侵略国の指導者は何を・・・

 その記事を読むたびに、胸が張り裂けそうになる。私は、戦後生まれである。幸いに、近くの親戚には、戦死した人はいない。しかし、今、現実に、ウクライナでは毎日何十人、何百人、何千人という人が戦死し、傷ついているのである。

 戦争を始めた、プーチンは、どんな頭・性格をしているのか。自分の身内に、戦傷者・戦死者が出ても平然としていられるのか。殺人鬼としか言いようがない。

 こんなことで、ロシア国民を差別してはいけないことは分かっているが、知らず知らずのうちにロシア人を嫌いになりつつある。

 

台湾は・・・

 そして、中国である。幸いにも、まだ、台湾への侵略はない。習近平指導部をどこかで、かすかに信じている。同じアジア人だからだろうか。かって袂を分かった台湾を、なぜ一つの中国と、自分の国のような言い方をするのか。主義主張が違っての別れ方である。香港のように一緒になることを約束された別れ方ではないのだ。両国が同意して一つの中国になるなら、それもいい。しかし、現在は、明らかに違っている。

 

相いれない国民性

 今まで、会社員として世界を回ってきた。仕事の関係から、それぞれの国で、人間対人間の付き合いをしてきた。そんな中でも、人間として、私が、違和感を持つ国民性の国は、数か国しかない。考え方、もっと言えば、教育方針が全く違う国々である。それぞれの国で方針が違うのは仕方ない。だからと言って、他国を強要するのは異常である。独立しているウクライナを自分の国の一部だと思い込んでいるプーチンは異常だ。

 

ウクライナ侵攻

 考え方は違っても、太平洋戦争終盤で、かっての日本軍が味わった悲劇を二度と繰り返してはいけない。なぜ、他国は他国として認めてあげられないのか、理解に苦しむ。

 ウクライナにまだ戦争を仕掛けられてもいないのに、ロシアは、攻められる脅威を感じるとして先手を取って侵略始めた。荒れ荒んでいくのはウクライナの国土である。

 

小さな台湾・日本

 台湾に至っては、中国に、何をしたというのだろうか。ロシアも中国も国土が大きい。台湾や日本のような国土の狭い国ではない。しかも、資源もたくさん出る。何が不足なのか。「金持ち喧嘩せず」の姿勢であって欲しいが、ありきたりのその辺の地主よろしく、大地主になればなるほど、隣の土地が欲しくなり、土地にはこだわりを持つようだ。

 

太平洋戦争、敗戦国からの贈り物

 100歳前後のかっての日本兵がパソコンをたたき、経験談を本にすることが出来たと記事が載った。それもよいが、是非、英訳でも露訳や中訳もして、何万部も、世界中での本屋さんで販売して欲しいし、それぞれの国に、無償で送り届けてもらいたいものだ。

 現在の指導部ばかりではなく、今後それぞれの国を背負う若者たちへの贈り物として・・・。

 

次は、いつ会えるか

朝早くから、新盆参り

 昨日は、朝早くから新盆参りをした。最近、お葬式など自宅を開放することもないので、新盆の家に上がり込むことも無くなったが、こんな時でもないと親しく話すこともなくなってきている。しばらく会わなかった知人にゃ、小学校時代の同級生などとも話をするいい機会になっている。故人の祭壇の前で、昔を語る。こんな機会も、新盆自体を止める家もあり、段々少なくなっている。時代の流れか。

 

孫のプール遊び

 息子と孫が来ている。息子は、昨日かっての職場の福島まで往復で疲れたらしく、まだ寝ている。その間に、プールを出して、孫を遊ばせる。これも来る前の予定に入っている楽しみの一つのようだ。台風(8号)が気になるが、まだ、都心に近づいているところなので、この辺は夕方までは持ちそうだ。

 プール遊びも、子ども一人と二人では大きく違う。テンションの上がり方が違うのだ。じいさん、ばあさん相手では、子どももいま一つだろう。

 

孫・操縦法

 今までだったら、特に、妻は、次から次へと子どもを飽きさせないことを考えるはずだが、年波には勝てないらしく、買い物に連れ出す。そこで、子どもの好きそうなものを買う。これが、年寄りの孫・操縦術のようだ。息子である子どもに対しても、今までなら手作り料理を振舞うのが当たり前だったが、出来合いのモノを買ってくることで用を済ます。

 

本物そっくりなカブトムシ

 昼ご飯を買ってくるついでに、子どもが好きなカブトムシのフィギュア―や花火も買ってきたようで、カブトムシを組み立ててあげると、これがまた、色艶、骨格など、本ものそっくりである。組み立ての説明書に写真を撮ると良いと書いてあり、庭に出て、木や落ち葉などを集めて写真を撮ると、まるで本物である。

 

孫も、写真を激写

 孫は、私の携帯を持って、色々なところに置いては写真を撮りまくる。いつの間に携帯で写真を撮ることを覚えたのか、年寄りには理解できない。

左:送り出す祖母 中上:カブトムシ 中下:プールで興じる 右:花火

回りがうるさい、花火

 そうこうしているうちに、外が暗くなってきた。花火である。火が相手だけに、注意を孫にする。「花火を人に向けちゃいけません」「花火を持つのは、根元の方を持って!」などなど、注意が忙しい。でも、子どもはテンションが上がり、無我夢中である。注意なんてどこ吹く風。1回は注意しても、次からはまた人の方を向けて火を点ける。また、「何度言ったら分かるの! 人に向けて火を点けちゃいけません!」。

 

帰省プログラム終了

 こうした喧騒の中、花火の宴は終わった。孫も満足したようだ。これで、帰省してやる楽しみのプログラムは終了である。孫も楽しんだかもしれないが、じいさん、ばあさんも一杯楽しませてもらった。孫や息子を快く送り出してもらった嫁に感謝である。

 今朝は、息子も孫も早く起きた。朝のうちに帰ることにしていたからだ。荷物をまとめ、簡単な朝ご飯を済ませ、出発だ。

 

子どもは、母親が一番

 孫も、お母さんがいなくても何食わぬ顔をしていたが、流石に帰る段になったら、母親を思い出すらしい。我々年寄りを気遣ってか、表面上はそうしないが、母親のところに帰りたいという気持ちがありありである。

 帰る車をなごり惜しそうに送り出す、祖父・祖母。

 あと、いつ、会えることやら。 本当に、楽しかった!!! ありがとう!