ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

まゆとごうし

「まゆとごうし」

 重度の障害を持つ奥さんと夫婦になった家族の物語をNHKで放映していた。ネットで調べると22年の暮れに放映し、再放送を何度もしている番組らしく、今朝も放映していた。「まゆとごうし」というタイトルだ。見ていた人もいるだろうが、素晴らしい家族なので、是非、かいつまんで紹介したい。

 

重度の障害に更なる障害

 奥さんは30代半ば。5歳の時に障害を持つことが分かり、手足が自由にならない。現在でも普通の人のようには歩けないし、家庭では這って移動するような状況である。それでも立っていることや移動は大変だが、それなりに出来ることもあり、家庭料理なども作ったりしている映像も流れる。

(ネットより)NHK番組の「まゆとごうし」

 ハワイで行うマラソンと同時に行われる10km走にも出場し、なんと、完走した実績も持つ努力家でもある。身体の不自由さだけならまだしも、それに、記憶を失うという障害までも起こるようになったのである。突然、母親が誰だか分からなくなったり、それまでの経験などがすっかり忘れてしまうという現象である。どんな忘れ方なのか詳細は分からないが、字を忘れてしまうなど、年寄りに起こる認知症よりもっと酷いようである。れっきとした病名もある。

 

記憶を作る日記

 「忘れる」という事が起きて以来、毎日、日記を付けるようになったらしい。ある日突然来る「忘れ」。それを補完するものは自分が毎日付けている日記である。忘れたら日記で思い出を作る、記憶を作るのである。そうして大学まで行けるようになった。そこで、運命の出会いが起こる。ごうしさんとの出会いだった。当初、ごうしさんは助けてあげないといられない、というボランテア的な感情だったらしいがいつしか恋愛に変わり、結婚する事になる。

(ネットより)大変な日常生活、でも・・・

周りのみんなに助けてもらう

 そしてやがて、子供が生まれる。蓮くんである。子育ても大変だ。おっぱい一つ一人では蓮くんにあげられないのだ。何をするにもご主人のごうしさんお助けが必要になる。更に二人だけでもごうしさんが何かの用事があるときには、幼い蓮くんとまゆさんではどうにもならないことから、ボランテアで面倒を見てくれる人をパンフレットを作りご近所さんを回り探した。やがて、そういう人も見つかり、日々努力しているようである。

 

一人じゃ生きてゆけない

 この番組を見ていて、改めて、一人では生きてゆけないものだ。夫婦はもちろんのこと周りの方々の助けで生きていると言うことを改めて感じさせた番組だった。ただ、そこには、重要なポイントがある。自分で出来ることは精一杯努力をするということである。まゆさんもごうしさんも、誰にも負けない努力をしている、その姿が周りの人の心を打つのである。

 「自分が出来ることは精一杯する。そして、人にも精一杯してあげる」とごうしさんは言う。若いにのたいしたものだと感心し、勉強させてもらった番組だった。

 この二人の努力に比べたら、我が努力は? ともかく出来ることをしよう!

本当に楽しめただろうか。

県北名所巡り

 恐らく、20年ぶりくらいに訪れたろうか。茨城県北部の名所、竜神峡と袋田の滝。この冬なのにと思う方々もいるだろうと思う。日本人なら、そして茨城県人ならそう思うところだろう。しかし、外国人相手でしかも若い人が相手となるとちょっと様相が変わってくる。同じ日本語を教えている仲間に誘われ、この名所に同行させてもらうことになった。

 

技能実習

 9時半出発である。日本語を教えている技能実習生2人が一緒だ。この実習生たちは、それぞれの母国から日本へ来て、成田で一定期間勉強をして、企業に送り込まれるため、極端な言い方をすれば、成田と派遣先の企業の市町村しか知らないのである。企業近くのアパートを借り、そこから企業までは自転車通勤。日本の有名な観光地はおろか派遣先の市町の有名な場所すら分からないという人たちもいる。

 

天気が良かった竜神

 そういう人たちだから、近場でも車で出かけるとなると嬉しくなる気持ちも分かる。今日は遠足気分である。3,40分走ると竜神峡に着いた。冬場の早い時間のせいか訪れている観光客も少ない。なんと我々の車が4台目という寂しさだ。昨日は風が強く寒かったが、今日は一転して青空で暖かい。彼女たちには最高の観光日和である。

竜神峡大橋       ”おみくじ”を引いて運勢を、「中吉」     

 冬の間は、バンジージャンプは中止らしい。高所恐怖症の私には、あの高いところから2万円を出してまで飛ぶ気が知れないが、若い人には人気があるのだろう。

 売店の外にあった、”おみくじ”をやってみた。2人は、「中吉」と「吉」。私は久しぶりの場所だったので思い出があるが、2人にはどういう印象だったか。

 

袋田の滝まで

 まだ時間も昼食の時間にならないので、袋田の滝まで足を伸ばすことにして、車を走らせた。地図があるわけでもないが、昔の記憶を思い起こしながら、道路標識を見ながら袋田の滝に着いた。細い道を入ってゆくと「ここから先は車は入れないョー」というので仕方なく、お土産や兼食堂で車を降りた。駐車代が500円で帰りにそこで食事をすれば戻ってくると言う。

 

半分凍る、袋田の滝

 歩き出すと、途中お土産屋も食堂もあり、車も入っているではないか。しかも駐車代はタダ。こんなところでだまされるとは知らなかった。更に歩くと見慣れたトンネル。しばらく行くと滝に。何か音が小さいと思ったら、水量が少なくしかも凍っていることで水が高所から落ちないので水音も小さいというわけである。あの豪快は水音は聞けなかったが、その代わり半分凍っている滝が見えてその光景は素晴らしかった。

豪快な ”袋田の滝” の瀑布も

ふと周りを見回すと、ゴミ箱や”瀧を詠む”の詩が・・。そして、壁を見ると気温は4.7度。でもそれほど寒く感じない。

ゴミ箱になぜか”くし”の文字     瀧を詠む         気温は4.7度     

 

本当に楽しめただろうか??? 

 帰りは、別の道を通り、先ほどの食堂へ。彼女たちは選んだ昼食は、”天ぷらそば”だった。

 彼女たち本当に楽しめたかどうか。若い人の感覚は分からない。年寄りは、若い人たちといるだけで楽しいものだが、逆に、若い人はどう思ったか・・・。感覚が違うのでよく分からない。後で聞いてみよう!

褒める、褒められる

カラオケも重労働

 昨夜、テレビの歌謡番組と思いチャンネル(古い!、今の子たちはなんというのかなぁ、今日聞いてみよう。)を回した。すると、やっていた。五木ひろしトークと歌が聴ける番組である。五木ひろしとは同世代である。3,4日前にカラオケをやったが、「山河」を歌ったら、「へぇ、へぇ、ぜぇ、ぜぇ」の世界だった。息が続かないのである。それなのに、彼は、今でも昔のように上手に感情を込めて歌う。年寄りの歌手のように誤魔化して歌わない。

 

ファイティングポーズ

 そんな中で、デビューした頃、生活に困っていた頃の話から始まった。五木の独特のファイテングポーズは、現在の完成形に至るまで3段階あった話なども面白かった。そして上下関係が厳しいと言われる芸能界の話に及び、他人の歌を歌って発売することを「カバーする」と言うが、先輩の歌や既にお亡くなりになった人の歌をカバーするのが一般的である。

 

思い出の大先輩の褒め言葉

 しかし、最近、五木ひろしは若い人の歌もカバーするという。歌のうまい下手ではなく、その人の個性や歌い方や詞の解釈法など歌手にも個性がある。メロディは変えずに自分の解釈で歌うというのだ。

 そして、歌謡界の大先輩、青木光一さんの歌を本人の目の前で歌ったときのこと、青木さんに”天才”と褒められたらしい。その言葉が一生忘れられないという。そうした思い出を今では、後輩たちにしようと心がけているという。

 

LT会に参加

 一昨日、日本語を教えるボランテアの人たちに教え方を指導してくださる先生がいる。その先生の指導で、LT会という発表会が催された。

LTの意味(ネットから)

 発表者は、6人だったが、そのうちの一人が私である。前段5分、本番スピーチ5分というLT会だった。現役の頃、15分の発表時間というのは何度も経験しているが、流石に5分というのは短い。事前に発表内容をA4x 3枚程度にまとめて、その中から何を取り出すかと考えたが、そのトピックをA4 x1枚にまとめ、更に発表する部分を絞った。

LT会の発表内容    「なくていいもの」の発表    「ステレオタイプ」の発表 

 内容は、非常に楽しいものだった。発表時間が短いので、話題に飽きないし、集中できるのである。議題は何でも良いということから、「へぇー、若い人はこんなことに興味があるんだ」などと感心したりと、非常に面白く聞けた。

 

LT会参加と”いいねコメント”

 くじ引きで最後の発表になった私は、数週間前に受けた「外国人の日本語支援」に関する講座の内容紹介をした。話すことに夢中で、時間も忘れていたが、終わって、「5分過ぎましたか?」と聞いたら、「とっくに過ぎてます」。

 この発表には、”いいね、コメント”という、聞いた人の意見を書く用紙にそれぞれの意見を書いてもらい回収するのである。書く内容の約束事は、「否定的なことを書かない、良いと思うことだけを書く」。私の発表についても ”いいね、コメント” が回収され、その全てが私の手元に来た。 

スピーチを聞いてくれた方々のコメントの一部

”褒められること” へのうれしさ

 このコメントを読んでみて、大感動だった。”褒められたり、同調して頂ける”ということがこんなにうれしいものかと、この高齢にして初めて分かった気がした。

 冒頭の五木ひろしにしろ、今回のLT会にしろ、『「褒めるということ」が社会の原動力になる』と痛感した一日だった。

 これからも、外国人の日本語を勉強する人たちの良いところを褒めよう!

こんな偶然って、ある?

カラオケ仲間

  昨日は久しぶりの地域役員仲間との ”カラオケ” だった。今の課題曲は、「山河」である。仲間7人で代わり番で、課題曲を出してそれをみんなで練習して歌い、2,3ヶ月に1度点数付けをして誰が高得点を出すか競う。一番になったからと言って、商品も賞金も出さない。そんなカラオケ仲間である。

 

情報交換の場、カラオケ

 この課題曲は、演歌に慣れた年寄りには難しい。特に前半が難しい。後半は結構聞き慣れたメロディなのでついて行ける。

 大体、2回一回りすると課題曲は終わりで、後は、自分の好きな曲を歌う。歌自体はこんなことで終わるが、始まる1時間から1時間半が夕食を兼ねて食べながら、地域のことなどを話す時間である。この時間がお互いの情報交換の場になっている。

 

ザ・フォーク・クルセダーズ

 そんなカラオケで、村下孝蔵あさみちゆきの歌などが話題になった折り、「イムジン河」の歌が話題になった。「帰ってきたヨッパライ」を歌ったザ・フォーク・クルセダーズの曲である。そしてその歌が発売禁止になった。

北朝鮮と韓国の国境沿いに流れるイムジン河     ”イムジン河”のレコード

 「そういえば、そんなことがあったなぁ-」とその時は考えていた。そして、いつもなら席上お酒を飲みながらとなるのだが、お正月からお酒漬けだったので、初めて、お酒は止めて、一人だけノンアルコール酒類を飲んだ。

 

偶然が起こった!

 そして帰宅して早々(21時)と床についた。こんな偶然があるのだろうか。私は、時々こんなことがことが起こる。めったに目が覚めない私が、夜中に目が覚めた。時計代わりにしているテレビを付けると0時数分の表示がある。そして、チャンネルを回すと、NHKのアナーザーストリーズをやっていた。なんと、そこで、

 運命の分岐点 「時代に翻弄された歌 イムジン河

である。この放送は、2021年放送の再放送だった。

 

イムジン河」の発売禁止

 時代のストリーとはこうだ。クルセダーズの「イムジン河」の作詞家が朝鮮学校を訪れた時に聞こえてきたメロディが素敵だったことからこの曲を調べた。すると、一番の歌詞しかないことが分かり、クルセダーズに歌わせたいと楽譜を送ってもらい、2番の歌詞を作詞して世の中に送り出そうとした。そのレコードの発売予定日が1968年2月20日だったが、その前日に発売禁止になったのだそうである。理由は、北朝鮮の日本の事務所からクレームが付いたのである。。そしてそれに慌てた東芝が、発売禁止を決定したと言うわけだった。

 

現存した作曲家・作詞家

 ところがいろいろ調べてゆくと、実はこの歌にはれっきとした北朝鮮の作詞家、作曲家がいて2番の歌詞もあったという。発売禁止の理由は、北朝鮮が韓国に比べ悪く書かれているというものだったが、原曲の歌詞を聴いてみれば分かる。その後時代も変わり、レコードは発売され、大ヒットとなり、いろんな歌手がこの曲を歌っている。

 今では「イムジン河」と言えば、クルセダーズの「イムジン河」が歌われている。

 

偶然の産物

 それにしても「偶然」というのは存在するのである。①カラオケで話題になった「イムジン河」②夜中に目が覚めた時間にアナーザーストリーズの再放送をやっていた。③しかも、その題材が「イムジン河」だった。これだけ見ても、いかに偶然の産物かが分かろうというもの。

 今宵は、どんな偶然があるか楽しみである。
 

日本に生まれて良かった!

どこまで増えるトルコ地震被災者

 1週間前にもトルコの地震の記事を書いた。ウクライナのロシア侵攻のように人的な被害と今回のような自然災害を取り上げた。1週間前のトルコ地震の死者数は1万数千人だったが、今や3万5千人を超えるという。東日本大震災の倍になった。この数値は、まだ半ばと言うところだろう。今後ますます増える。

阪神大震災の22倍の地震

 

こんな税金があった、地震

 今朝の新聞である。あの高速道路が落ちた阪神大震災の22倍のエネルギーを持つという地震の大きさ。そしてその上、ずさんな計算をされた建物の地震強度が重なる。1999年に起きた地震で、それまでの建物を補強する目的で、トルコでは地震税が導入されたが、それから20年以上、この税金がどこへ使われたか説明がないままになっているという。そこまで聞けば容易に想像が付く。

震源地              手抜き工事や治安悪化の記事

 

支援が届かぬ村

 また、多くの建物が強度不足、手抜き工事だそうで、そうした実態も被災結果に拍車をかける。そんな中、被災した店舗から商品を盗み出す人たちもいるという。

 日本をはじめとして各国から支援の手が差し伸べられているが、それでも広範囲にわたる地域内の小さな村には手が回らない。そうした村では、やっと手に入れたテント内では20人以上の人たちで寝ているという。

72時間を過ぎても次々と見つかる生存者    テント内で過ごす被災者

 

日本の南海トラフ地震

 地域が広範囲で手が回らないのである。日本で予想されている南海トラフ地震」でも起きればこのような事態になるのではと予想される。しかし、建物の被害はこれほど起きないだろうし、治安も悪化しないだろうと考えられる。トルコやシリアに比べて日本はそうした環境が整っているからである。

 中近東を始め、アジア諸国を仕事で訪問した。日本ほど住民の民度が発達した国はないと断言できる。中にはフィリピンから強制送還されたような詐欺グループもいるし、いわゆるヤクザだっている。でも、火事場泥棒的な犯罪は少ないのである。そして建物の強度だって、現在世界にある強度計算の最高レベルの強度計算法を使っていると信じられる。従って、トルコのように治安も悪くならないし、建物の崩壊もそれほど起こらないだろうと思われる。そして、日頃からの防災意識も強い。

 

日本に生まれて良かった!

 海が綺麗、風景が綺麗、物価が安い、美人が多い、遊ぶところが多いなど、日本より良いところを持った国も一杯ある。しかし、日本人には、心の奥底にある仏教的な考え方が脈々と流れている。科学も文化も世界的に見ても高水準にある。日本で知識を積めば、どこの国に行っても通用しない国はない。

 そうしたことから、住んでみて良い国は、世界で日本であると信じて疑わない。30代、40代、50代、といろいろな国で生活してみて本当にそう思う。

 日本に生まれ、育って良かったと。

駅のポスター

昔のポスター(協力懇請型)

 しばらくぶりに電車に乗り、ホームへ行く階段を歩き隣のホームに渡るときに、ふと壁を見るといろいろなポスターが貼ってあった。こうしたポスターをしみじと眺める人もいるのかなぁーなんて、ついつい見てしまった。

昔の形のポスター 

 「優先席」に対する喚起のポスターや年寄り、身体不自由な人、困っている人に優しくしてあげましょう、というポスターである。たまにしか電車に乗らないので、こんなケースに出くわしたことはないが、都会で電車が通常の交通手段になっている世界ではまだまだこのようなポスターが珍重されるのだろう。 

 

警鐘型ポスター

警鐘型ポスター

 次は、警鐘型ポスターである。世相を反映するものではあるが、特徴は、一瞬では意味が不明なところである。

「酔った勢いで人生はこわれる」酔った勢いで暴力沙汰を起こすな、と言う警鐘なのだろうが、なぜ駅に貼ってある? それだけ、駅周辺で起こる、酔っ払い暴力事件が多いと言うことなのだろうか。

 次の二つは「歩きスマホ」で人にぶつかる事件や事故が多いと言うことなのだろう。最近は「運転スマホ」も多くなり、罰則が強化された。まだ、歩きスマホには罰則はない。いずれ、多くなれば罰則として加えられるかもしれない。

 

エスカレーターでの警鐘

 最初の文字「エスカレーター」の文字、エスカレーターに人が立っている絵で、歩いたり駆け上がったりするなと言う意味だなと分かったが、何と書いてあるのか分からなかった。下の「まろう」って何だ?と思い、上を見ると「立ち」が目に付いた。「立ちまろう」? これは「止まろう」の意味だろうと思ったが、「と」の文字がない。少し離れてみたらやっと分かった。漢字の「止」がエスカレーターの絵の陰に隠れていたのだ。面白いクイズのようなポスターである。つい、立ち止まって見てしまう。

 

35年前のロンドン

 この警鐘ポスターで思い起こすことがある。もう35年前くらいだろうか。その当時家族で駐在していたクウェートからロンドンへ家族旅行をしたときである。ロンドン周辺には地下深いところを地下鉄が走っている関係で、エスカレーターが長い。そのエスカレーターに乗った時だった。通勤の皆さんが整然と左側だったかに並んで立っているのである。当時日本では、エスカレーターは右も左もなく雑然と立っていた。従って、この光景にビックリしたものだった。急ぐ人は右側を歩いて移動すればいいんだ、と勝手に思い込み、なるほどと合点したものだった。

 

せっかち国民には合わない方式 

 それから日本へ帰って来ると、数年後には都会でもこの方法がとられ出したのである。関東と関西では立つ位置が左右逆のようだが、最近では、空いている側を急いで歩いたり駆け上がったりする人がいて人とぶつかる事故が起こるようになり、歩かないでください、と言うようなポスターのような喚起が必要になったのである。歩かないのならどちらか一方に立つ理由もない。ロンドン方式は、せっかち国民の日本人には向かないと言うことなのだろう。

 

 暇人の私が駅構内を歩いたので、これらのポスターを眺めたが、通勤/通学の方々は、こうしたポスターを見ているのか、とふと疑問に思った。

 

素晴らしい発表をありがとう

日本語学校の発表会

  昨日は、雨交じり雪模様の天気。いつもなら車で行くところだが、そんな天気が予想されたので、電車で出かけた。外国から来た留学生の日本語による成果発表会が開かれるという。「日立さくら日本語学校」の企画である。

成果発表会プログラム

 ベトナムウクライナ・ネパールの文化紹介から始まった。まだ日本へ来て1年弱というのにしっかりした日本語を話す人たちばかりである。

 

各国の文化紹介

ベトナムの紹介  ウクライナの紹介   ネパールの紹介

 それぞれの国の自然、衣装、食べ物などが紹介された。また、舞台右袖にある ”めくり” は勿論日本語だが、筆で書かれた紹介文字。しかも留学生が自分たちで書いた文字だそうだ。そして、更に凄かったのが、司会者2名の話術である。日本人でもこれほどの話術を持った人はそうそういない。時々笑いまで誘うのである。 

 

立派なスピーチ

  歌やダンスなどの紹介           最後に行われたスピーチ    

 各国の歌やダンス(踊り)があり、最後に行われたのが ”スピーチ” 。「1分間スピーチ」「不思議だらけの居酒屋」「怖いものは何ですか」の三本立て。1分間スピーチは、1分間の短いスピーチを3人で3つ紹介していた。日本の特徴をつかんだ面白いスピーチだった。そして、2番目の韓国留学生の居酒屋の話題も面白かった。韓国では一人前の料理がないほど一人で行くことがない居酒屋。その居酒屋で一人飲みする日本人の文化は分からないとする一方で、やってみると意外と受け入れられると言う感想。3番目の話題は日本に来て、 ”孤独” が怖かったという話から1本の木より2本の木の方が良く育つと言う話になぞらえて、友達を作ることに話が及び、「乗り越えることに挑戦しないことが怖い」と締めくくったスピーチ。難しい素晴らしい話を聞かせて頂いた。 

 

留学生に ”ありがとう!”

  会場になった日立シビックセンター   広い会場が狭く見えた発表者と観覧・聴取者

 この発表会を企画立案し留学生を指導した先生方に拍手を送りたい。そして、異国へ来てしかもその国のことば、日本語での発表をしてくれた外国の留学生の方々には、”素晴らしい発表をありがとう” とお礼を述べたい。

 日本語も上手だったが、”見せ物” としても、内容が本当に素晴らしかった。

2時間があっという間に過ぎた。外は、雪交じりのような雨だった。