ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㉘

前回に続く。赴任1年目に、マカティ(首都圏) に住み始めた理由について。

 

マカティに住んだ、もう一つの理由

 そして、マカテイに住んだ理由には、もう一つあり、フィリピンのレストランや歓楽街の状況を調査・理解するために1年と決めて住むことにしたのである。皆で、夕食を取る時などは、出来るだけ毎日違う店を選んだ。それも、日本食は勿論のこと、韓国料理、中国料理、スペイン料理、イタリア料理、フランス料理、ドイツ料理、勿論フィリピン料理、そしてアラブ料理まで経験した。一通りこれらを回ってしまうと、後は、新しく出来たレストランには、試験的に行くが、気にいったレストランに集中するようになった。

 こうして、殆どのレストランを知ることが出来、日本からのお客様の接待では、困ることはなくなった。何料理が良いですか、とお聞きし、お客様の程度によって、レストランの雰囲気、食事の質を選んだ。

 駐在員は、その国の状況を把握し、出張者の来訪に備えなければならない、という手法や考え方は、前にこのブログにも書いた、オーストラリア出張、シドニーでの生活でも触れた。その昔、オーストラリアの駐在員に教えてもらった。この駐在員は、既に亡くなった上司に教えられたと言っていた。こういった考え方は、代々、受け繋がれて来るものかと思ったものである。

 

歓楽街とカラオケバー

 また、フィリピンのあらゆる歓楽街も経験した。日本で言う、フィリピンパブと言われるカラオケバー、日本ではお目にかかれないゴーゴーバー、ちょっと高級なピアノパブ、演奏付きレストランなどなどで、これらに日本人男性は群がっていた。赴任した、2003年~2004年に掛けては、誰もがカラオケバーに出掛けた。入ると、女性(ホステス)を指名し、席に付き、カラオケをステージで歌うのである。歌ってない間は、ホステスとの会話を楽しむ。面白いことに、奥様と出かける赴任者もいる。奥様もホステスを指名しなければならないのである。こうした歓楽街の状況については、機会があれば別項で書きたいが、非常に奥深いものがある。

 カラオケバー以外は別だが、カラオケバーについては、日本の・・・通りというのと同じように、・・・通りに集中してあり、ここにあるカラオケバーは、ホステスが若い女性揃いのところだった。そして、決まったシステムは、店の入り口入ると、お客にありついていないホステス全員(20名はいるだろう)が一列に並び、「いらっしゃいませー」の独々のイントネーションで客を迎える。そして、客はその中から、このホステスと、そこで指名するのである。こうした女性を選ぶというシステムに最初は躊躇したものだが、だんだん慣れていった。

 

 かくして、1年目は、25階建ての24階の高層ビルマンションに住むことになったのである。ちなみに、このマンションは、赴任(2003年11月4日) 前の10月に出張して、契約を交わしてきていた。短い出張ということもあり、手ごろな所で手を打った結果だったが、まずまずの住居だったと思っている。

              (つづく・・・)