ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(78)

 クリスマスプレゼントを日本であげた記憶はあまりない。クリスマスパーティは、ケーキを買って家で楽しく過ごすなんてことは、人並みにやった記憶がある。そんな私が、フィリピンでクリスマスプレゼントをすることになった。

 

クリスマスプレゼント

 ドライバーと言えば、書かなければならない特殊なことがフィリピンにはあった。先輩から教えられ、彼らにクリスマスプレゼントをすることになったのである。もっとも、これは、マストであった訳ではなく、乗る人の思いにより左右するものであり、してもしなくても良く、人により程度の差はあった。私の例を書く。プレゼントは、一般的に日本でいうチョコレートだ、ケーキだの類ではなく、もっと大きな金目のものなのである。1年間、「私の命を守ってくれてありがとう」に類する謝礼の意味も込めているのだ。年末日本に帰省する直前にこのプレゼントをした。別に決まっていた訳ではないが、クリスマスの時(12/23)には既に日本に帰っているケースが多かったから、そうなるのだ。

 

プレゼントの中身

 贈り物は、主に電気製品。例えば、ミキサーだったり、トースターだったり、最後の年は、洗濯機を贈った。これらは、1万ペソ以内で購入できる位のものだった。ドライバーは男であるので、非常に気位が高い。従って、余り嬉しそうには喜ばないし、「何が一番良いか教えてくれ」と言っても、「絶対に」という位、まず、自分の欲しいモノを言ったためしがない。この傾向は、何につけてもそうだった。しかし、貰える事が嬉しいことである事は分かった。それは、前任者や他の日本人から貰った時の事を、嬉しそうに話すのである。

 

車の走行距離

 ドライバーと言えば、車だが、車の保守もドライバーの大切な仕事の一部だった。ガソリン給油、タイヤ交換、部品交換など、何時でも乗れる状態に保っておくのがドライバーの役目だ。

 車は、5年半で2台使った。最初は前任者から受け継いだ車だった。既に、10万キロは乗っていたが、その後、35万キロまで乗った。エンジン以外は全て部品交換した車だ。片道90kmの通勤を週5回繰り返すのである。その他に、取引先、お客などを行き来するのである。単純計算でも、180km×5日×52週=46800km/年。通勤だけでこうだから、年に、6万キロ程度にはなっていたと思う。それが5年半だから、30万キロは優に超えていたのである。地球3周半である。今、日本で10万キロ超えたと言って車を交換する人もいるが、まだまだ乗れる代物である。

 

通勤時間

 ついでだが、通勤時間も朝は、約1時間だが、帰りは、平均で2時間は優に掛った。ひどい渋滞に遭うと、3時間なんていう日もあった。1日3時間以上車に揺られていたのである。単純計算でも、24時間走り続けたとして、半年間走り続けた計算である。通勤時間に合わせ1日8時間とすると、1年半車に乗り続けていた事になるのである。フィリピンの高速道路は、舗装はされているものの、国道は日本のそれ以下であるから、一般道路に入った時など、頭を車の天井にぶつけるなんてことも良くあった。そんな悪い道路をそれだけの距離、時間を走った訳だから、大変な重労働であった事が分かって頂けると思う。

        (つづく、・・・)