ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

魚の骨

 読売新聞に編集手帳というコラムが1面にある。いつも読んでいるわけではないが、たまたま目に入った。魚の食べ方の話である。

 

魚の食べ方

 この編集者は、詩人、川崎洋の書いたエッセイを題材に書いている。ある居酒屋に入った。隣の若者の箸の使い方に興味を持った。魚を上手に食べていたのだそうだ。そして、一片の身も残さず食べつくし、魚の標本のようになった魚の骨。その若者に言った。「きれいに食べますね」。すると、「猫が魚の食べ方を教わりに来るんですよ」と冗談交じりに答えたそうである。

 

綺麗に食べるコツ

 私も時々、同じようなことを言われる。この若者のように、ウイットに富んだ返事は勿論できない。魚がこのように綺麗に食べられるには、それなりの技と性格が関係している。もちろん箸使いが上手にできることは言うまでもない。それと、何よりも魚が好きだということ。そして、きちんと食べる、綺麗に食べる、食べ物を平らげる、という性格もある。

 

残さず食べる

 子どもの食べ方をを見ていると分かる。最初は、お茶碗の中に一杯ご飯粒を残して、「食べたよ!」と言う。そして、母親から、「綺麗に食べなさい!」と言われ、一粒も残さないように食べ終える。もう少し大きくなると、「農家のおじさんやおばさんががね、・・・・」とウンチクを子供に聞かせ、食べ物の大事さを教え、だから残さないようにね、と聞かせるようになる。そうして身に付いた子どもたちは、「綺麗に食べる」ということを覚える。もっとも、そういう母親が、電気釜に一杯ご飯粒を残したまま、洗い場に置いておく姿を見ると、「これ、なんじゃ!」ではあるが。

 

綺麗に持つ箸

 続いて、箸の持ち方である。最近の子どもたちは、箸の持ち方どころではない。鉛筆の持ち方さえ満足にできない。恐らく、こうした子供たちは、「ペンだこ」なんてものは、一生経験せずに終わるのだろう。10人に会って、1人きちんと箸を持てる若者に会ったら幸運と思うほかない、と言えるほど、きちんとできていない。当然と言えば当然であろう。その若者の親たちが満足にできないのだから、まともに教えられないのである。折角、給食制度があるのだから、学校で、教えてもいいように思えるが、そうしているのかどうか分からない。

 

肉より魚

 そして、最後が、魚が好きになること、である。こればかりは、好みの問題なので、容易に片付く話ではない。遺伝的な要素もあるだろうし、地域的な要素、料理に触れる機会なども影響してくるだろう。私の場合、太平洋に近く、漁港が多い地域に住んでいる。子どもの頃から、刺身などの生魚や魚の煮付けなどに多く触れてきた。肉よりは魚の生活だった。今でも、時々、ブリやスズキなどを1本買ってきて、自分でおろす。この辺の話は、また後で、別の機会に述べる。

 

手指の動きと脳の発達

 手指の動きとしては、親指と人差し指が最もよく使われる。お箸や鉛筆を持ったり、ハサミを使ったりするのに絶対必要である。特に子どもの成長期に手指をたくさん動かすことで、それだけ脳も活発に動き、思考力や記憶力も鍛えられると言われている。

 パソコンやスマホを動かすといった、ある種、単純な動きではなく、考えながら手指を動かすという動作が特に良いようだ。つまり、煮魚を食べるなんていう動作は、特に頭の部分の場合なんかは、複雑な骨の構造を考えながら、小さな肉片を取り出した時の、ある種、達成感が、脳の発達にもいい影響を与えるように思える。

 

 手指は、第二の脳と言われているようである。わざわざ、子どもの脳にいいからと、手指を訓練する玩具を買わなくても、日常の食育の中で、子どもたちの脳を鍛えられるとなったら、素晴らしいことじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。

         (つづく、・・・)