ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界のヘソ

ヘソの緒

 臍(へそ)で茶を沸かす、臍を曲げる、などの言葉にも使われる「ヘソ」である。まだお腹の中にいた胎児のとき、母親と唯一繋がっているのがヘソであり、栄養分を母親から分けてもらい、人間として一人前に育つ。そして、臍の緒を切ってもらい、人間の社会で生活するようになる。従って、母親とのつながりは、一時的な営みで誕生する役割を担う父親とは違い、実に深いものがある。その後の人間としての生活の過程で、いくら育休を取って頑張ってみても、本能的な母親とのつながりに敵わないのは当たり前である。昔は、自宅でお産をし、「産婆さん」という人が、各地域にいて、その人たちの助けで子どもを産んだものだった。私も、もうなくなったが、今住んでいる昔の実家の納戸で産婆さんに取り上げてもらったと聞いた。

 

日本のヘソ

 「日本のヘソ」は、・・・県・・・市、などとよく聞く。つまり、その対象とした地域の中心を「ヘソ」と呼んだりする。日本にも、「日本のヘソ」と呼ばれる市町村は複数存在するようだ。我々北関東の人間からすると、日本の中心は中部地方にあるような気がしていたが、関東のど真ん中にある市や関西の市がそう呼ばれている例もあるようで、見方によって変わっても来るのでどこが正しいというものでもなかろう。それぞれの市町村が、わが市が・・・と思い宣伝すればいいことではないかと思う。

 

思い出のないトルコ

 40歳前後に、中近東クウェートに駐在することになり、私は3年半、家族は学校の関係で3年滞在した。毎年夏にというか8月に、2,3週間の休暇がもらえ。それは、日本へ帰っても、どこかへ旅行してもいい、但し、健康診断は受ける、という条件付きだった。そこで、私たちは、ヨーロッパ旅行を計画し、3年間、3回に分け、ヨーロッパ各国を回った。殆どの国を回ったが、ヨーロッパかアジアか分からないトルコだけは、その計画から抜けたのだった。その時以来、トルコは何か気になる国になった。

 

考古学者、大村幸弘氏

 つい数日前、大村幸弘という考古学者のインタビュー番組に出会った。大村幸弘氏は大学卒業後、一貫して遺跡発掘に身を投じてきた人のようだ。エトロフ島事件でロシア人の捕虜となった大村治五平の子孫であり、親族にも色々な名の知れた方々がいる。この番組で、大村氏が強調していたのは、考古学そのもの、つまり、古い時代の詳細を明らかにすることだけではなく、それを後世に伝える人を育成することや考古学ではいろいろな分野の人の協力が不可欠だが、そうした協力の心の醸成が必要と力説していたように思う。

 

考古学に対する当時の認識

 私は理系出身だが、学校を卒業した1970年頃は、製造技術で世界を追い越せの時代であり、理系が当たり前で文系と言うと、少し下に見られていた時代。そして、そうした文系の中でも、考古学と言えば変人扱いに等しいような印象を与えたものだった。私の数年後輩に従弟がいた。彼は、考古学を専攻した。すると、私の両親は、「・・・ちゃんは、考古学を勉強するんだって、」と何かとんでもないことをする人のような言われ方をしていたものだった。そういう時代に、海外で、定職を持たずに?、遺跡発掘に執念を燃やす青年に向ける目はどんなだったか、容易に想像がつくというものである。

 

カマン遺跡の逆襲

 高松宮様が現地を訪問し、カマン遺跡の発掘作業に、高松宮家が協力するようになった。そして、公費(日本・世界)を投入するようになった頃から、カマン遺跡の発掘作業に対する潮目が変わったような気がする。今ではいろいろな関係施設ができ、継続して発掘作業を進める資金も集められるようになったようだ。

 世界のヘソと呼ばれるトルコ。北は黒海、西はエーゲ海、地中海に囲まれ、アジア大陸から西にピョコンと飛び出した、正に「ヘソ」である。現地を訪問する機会ももうないだろうが、この番組で、考古学に対する考えが大きく変わったことだけは確かである。