ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

足りない、”粘り”

日立市「平和通り」の桜

 昨日も、日立市まで出かけた。技能実習生に日本語を教えるためである。日立市には有名な桜の名所がある。「平和通り」と「神峰公園」である。平和通りは、日立駅から真っすぐ西へ延びる道路を言い、神峰公園は、駅から西を見て北西方向にある山、神峰山の丘一帯の公園を指す。そして、なぜか今年は、神峰公園の桜が病気にかかり、余り良く咲かなかったらしい。平和通りの桜は、このブログでも以前紹介した通りである。その桜も全て散り、若葉となった。

 

日本語授業

 実習生の日本語授業は、1単位が50分で、午前中4単位、午後4単位である。教科書を持ち1課から順に教えてゆく。4単位で1課が完了。昨日は、10課を教えた。また、それだけではなく、毎回漢字も8個ずつ教えてゆく。昨日は、「終・勉・強・行・来・帰」だった。毎回その進捗度合いによって、空き時間が出来たりする。そうすると、色々それぞれの国や家族などについて紹介し合ったりするものである。

左:日立さくら日本語学校での授業の様子 右:すっかり散り若葉になった桜

今の、外国との通信

 今日は、国際電話について触れたいと思う。この実習生たちに家族とどの位の頻度で電話するのか聞いてみた。32歳は毎日電話をしているという。そして21歳は、時々だという。しかも、32歳は、家族みんなと交流をするらしい。一方21歳は、たった一人の弟ともあまり話をしないという。

 時代は確実に変わった。

 

昔の国際電話

 我々の時代、会社では国際電話はなるべくかけずに、当時海外との通信手段として使っていた、「テレックス」を使ったものである。音声通信は高かったからだ。もちろん、海外に出張していて、家族との通話は、月1回位しかできなかった。会社で国際電話をするとなると、時間を1分でも短くするため、事前に話すことを手短にメモし、最小の通話時間を心掛けたものである。

 ところが、今は、データ通信の時代。インターネットを使っての通信になり、一定の通信料の契約さえしていれば、”タダ”で通信・通話ができる時代になった。

 

いつでも無料でかけられる、国際通信

 かっての不便な時代は、電話をするのが待ち遠しく感じたものだが、今では、何時でもできるとの思いからか、家族と話もたまにしかしないという若者も出てくる始末である。かっては、電話が出来ない間、家族への思いを募らせ、勝手に想像し、色々と悩み、解決策を自分で勝手に考えたり、勝手に考え込んだりしていたものである。でも、そういう頭の体操ならぬ、頭の思考訓練が大事だったようにも思える。

 

便利な時代が残す ”足りない粘り”

 電話に限らず、何でも便利な時代。家では、雑巾がけもせずに、クルクルワーパーといったモノが顔を利かす。工夫をしたり、どうやろうかと悩まぬ時代でもある。

 恋人との交流においても、多分、年がら年中電話などでの会話が増えているのだろう。だから、会えない間、話が出来ない間、相手の考えを想像して、どう対策を建てようかとか、相手を思う ”思いやり” といったものが希薄になってきている気がしてならない。

 従って、嫌だったらすぐ分かれる、ちょっとした我慢も出来ない。”粘り”が足りない気がするがどうだろうか。仕事でも、勉強でも同じことだ。