ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

地震の備え

 昨日は、埼玉の息子のところに出掛けていた妻を迎えに行ってきた。約3週間前に送っていった時、ヘトヘトに疲れた記憶がある。体力的にも、そして特に神経が疲れた記憶があった。その時は、1週間ほどその疲れが戻らなかった。

 そして今度はどうか。覚悟して臨んだが、帰宅してみて、それほどではないような気がしている。高速で走る事に慣れたのかもしれぬ。歳をとっても、慣れればある程度のことには耐えられるということなのだろう。

 運転していて、今回も、ヒャ!としたことがあった。大きな幹線道路から狭い路地に左折するときだった。そこに横断歩道ではないが自転車用通路が描かれていた。正にそこを通ろうとしている自転車がいることには気付いていたが、その自転車の人は、こちらが左折するのに曲がり始めても一切右からの車も左からの車も気にしないで真っ直ぐを向き通るではないか。そのまま左折してしまったら、完全に自転車ごと轢いてしまうところだった。前にも書いたが、歩行者もこうした自転車も、左右を確認するという基本動作をしないのだ。困った現象である。

自転車用通路            常磐道の110km区間          

 前にも書いた。常磐道には、110㌔区間がある。高速道路を100㌔とか80㌔とかでは遅いと思ってきた私のような人間には丁度良いスピードといえるのではないだろうか。この区間に入る前も区間に入ってからもスピードを変えるという運転者はいない。スピードを出す人間は、100㌔だろうが110㌔だろうが130㌔140㌔でぶっ飛ばす。アクセルを踏みっぱなしでは、90㌔から110㌔の間くらいで走るのが丁度良い。100㌔に調整すると、80㌔から100㌔になってしまうからだ。常磐道はそんなに坂道は多いわけでもないが、結構小さなアップダウンは結構ある。

 今日の読売新聞。中程に見開きの特集版。沢山の顔写真と文章が載っていた。

涙がこぼれる、被災者の文章

 被災に遭った人たちの「戻らぬあなたへ」の文章である。丁度1ヶ月前、元日に起こった能登地震の被災者の声である。それも、自分の親だったり子だったり、お世話になった「あなた」だったりである。「お正月くらい家族が一堂に集まり皆でお雑煮を食べよう」と、昔からの日本の風習を守ろうとした一家団欒を襲った地震でもあった。二つ三つと読み進むうちに、胸が一杯になり、とても読み進めず、後で読もうと読むのを止めてしまった。

 東日本大震災を経験し、当時、近くの被災地を見て回ったが、今回の地震との大きな違いは、地盤が隆起したり陥没したり山崩れが頻発したりと地盤変動が起こったことが大きな違いだろう。いかに古い家屋とは言え、あんなに崩れてしまうのは、揺れに地盤隆起などの変動が起きたせいでもある。 

   能登半島の地質図            能登半島の周りの活断層

 地震が起き被害が出てから騒ぎ出すというのがいつものマスコミの悪い習性。前から能登半島活断層が多いことでは有名だった。能登半島に限らず、活断層の多い、大地震が起きそうな場所は、今から、注意を喚起して貰いたいモノである。

 私は、大きな地震を感じると、まずは、庭に面したサッシを開けることにしている。地震で潰れても外に逃げ出す通路を確保する意味合いである。大きな揺れが来るまで数秒はかかる。家が大きな揺れに揺れ出したらすぐ外に逃げ出すことである。火を消せ、ガスの元栓を閉めろ、などは二の次である。命をまずは守ることである。


 

自動車よりスマホ

 お札がバタバタと出てきた。厚さが1センチ以上である。さっき、郵便局で8万5千円を自動受払機で下ろしたときのこと。皆さんは既に経験済かと思うが、今まで何百回と下ろしていて初めての現象でビックリ。窓口へ行き、事情を話すと、「それは、85千円と入力すると、千円札で全て出てくるんです。銀行は逆らしいですよ」と可愛い窓口の女性。「えっ、銀行は逆って、どういう意味?」と聞きたくなったが、そこは我慢。

 「若い人に人生の選択肢が2つしかない。『自動車を持つ』か『スマホを持つ』か選べというと97%の人はスマホを選ぶと思う。スマホがない生活はもう考えられないと」。楽天三木谷社長が最近口にした言葉らしい。

         三谷社長              フリマアプリの時代   

 今の若者の様相を見ているとこの言葉も納得できる。そういえば、昔、「車か家か」の同じような質問で、「車」を選択されていたような気がする。

 右の記事は、フリーマーケットの記事である。スマホがあれば、中古品を売ることも買うこともできる。ただ、マナーをしっかり守って、という記事である。昨年の話だが、我が息子が帰省。孫がうろちょろするのに、何食わぬ顔でスマホのゲームに夢中。また、電車内でのスマホ利用は凄い。ネットに聞いて見た。下記のデータが出てきた。何と94%の人が電車内でスマホを利用しているそうだ。

電車内でのスマホ利用率

 話は変わって、SLIMの記事、月面探査機の記事である。日本が世界で5番目に成し遂げた快挙らしい。最初、このニュースが流れたとき、映像も何もないので、世界は信用しないだろうな、と思っていた。でも、やっと、映像が出てきた。SLIMが着陸時に、切り離した小型カメラが撮った映像ということである。”これなら信用する”と思った。

 それにしても、誤差何kmの過去に対し、10m以内の誤差は大したモノだ。月まで何万kmか調べていないが、机の上の目に見えない小さなゴミほど誤差だろう。

        月面探査機SLIMの記事            昨日の強風で貯まるゴミ

 JAXAの研究陣に拍手である。写真を撮ったSORA-Qは、おもちゃ会社タカラトミーの技術を使っているらしい。残念ながら、探査機自体は逆さまに着地(着地してから転がった?)してしまったので、バッテリーに支障を来しているらしいが、それでも合格点圏内だろう。太陽の位置によってはバッテリー回復の可能性もあるらしい。

 しかし、今朝は寒かった。我が家の部屋の中は6度だった。起きるのが辛い。すぐ、あちこちのストーブを点け、家中を暖める。すぐ、10度以上になり、生きた心地。考えて見れば、小学校の頃、外に寒暖計があったが、いつも朝は零下6度、5度、4度などを示していた。そんな中、水で顔を洗い、食事をして、学校へ通学していたモノだ。

 昨日は強風が吹き荒れた。家のあちこちにある庭の手入れ道具(ホウキ、チリトリなど)が庭に散乱していた。そう思って外に出たら、道路脇にゴミが吹きだまりになっていた(上記右写真)。


 

 

新聞の読み方

 仕事の現役の頃、ニュース番組などで「あなたは新聞のどこを見ますか?」という質問に、当時の年寄りがいつも「”訃報欄”を始めに見ます。」という回答が多かったことを今でも覚えている。そして月日は大分経ち、自分がその年齢に達したとき、やっと意味合いが分り、今では、自分がそうなっている。理由は、知り合いが亡くなってはいないだろうかの他に、香典・会葬などの義理を欠いてはという意味合いからだ。

訃報欄  定番の新聞記事(能登地震・政治家の裏金問題)

 ところが最近は、訃報欄に”葬儀は既に行ないました”の記事が付け加えられることも多い。

 今日は、久しぶりにゆっくり新聞を眺めた。一昔前(といっても、、)なら、ウクライナ戦争記事が暫く定番になり、そしてイスラエル問題が勃発するとソレに加わった。

そして、最近は、元日に起こった能登地震であり、政治家の裏金問題である。だから、最近は、ウクライナの記事を探すのも結構苦労することになった。

ウクライナ戦争、イスラエル戦争

 ゆっくり、じっくり新聞を眺めたせいか、75歳の文字・記事が気になった。気になって読んでみたら”年金”の話だった。年金生活者にとっては死活問題であり、唯一の命の綱でもある。働きもしないで生きてられるのは年金のお陰でもある。そういう意味合いも込めて、ボランテアに精を出しているという一面がある。

 そして、少子化問題。昔なら、女性は結婚したら子どもを産むのが当たり前だったが、今は、そうでもないらしい。子どもを欲しくないという女性や夫婦も多いらしい。

年金問題少子化問題

 そして、いつも話題になる育児休暇の問題である。若い人が育児休暇を取るのは理解できるが、その一方で、会社である部門を預かっていた身としては、元気バリバリの若手が1年も休暇を取るなんて、戦力ダウンは著しくとても認められたモノではないことは理解できる。今の若い夫婦はその狭間で大変だろうなと思うし、そんな時代に生きなくて本当に良かったとも思う。そんな意味で ”昔は良かった”。

 そんなことを考えながら、ふと目をやると、「食」の記事。最近は、自分で食事を作

   「食」の記事      昨夜作った・・丼     我が家の庭に目をやると、、

る。そんなことから、こういった記事が気になるのだ。長いもをグラタン風にという記事。いつか参考にさせて貰おう。昨夜は、近くの大きな魚屋で半額の刺身を買ってきた。半分は酒のつまみに、残り半分は、白飯の上に載せ翌朝の朝食にした。締めて250円のドンブリである。これは面白いと思い写真を撮って記事にした。よし、今日はブログを書くぞ!と心に決めてパソコンの前に座る。すると、やることが次から次へと出てきて、その処理に午前中一杯かかった。そして、午後買い物を済ませ、夕方の今になって、やっとブログに辿り着いた。

 ふと、庭に目をやり綺麗に晴れた空を眺める。至福の時だ。こんなにゆっくり庭を眺めることは滅多にないなぁ~なんてことを考えながら、、、。

不眠症

 今日は金曜日だ。水曜日に、日本語指導に対する講習があった。日本語指導では、有名な教科書というか指導書がある。1つは、「みんなの日本語初級ⅠⅡ、中級」である。そして、もう一つ「いっぽ、にほんご、さんぽ初級Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」である。この他に、技能実習生に向けての「新日本語の基礎」という本もある。これら3冊のどれかを使い教えているのが、日本語指導での実情だと思われる。

 そして、今回の講座は、「みんなの日本語」の著者である先生が、「いっぽ、にほんご・・・」の著者である先生に依頼して、今回の講座に登場してもらったという経緯だったようである。つまり、競合している指導書の著者がお互いを紹介し合っているという異色の講座でもある。そういう意味で、お互いの本の欠点を補完し合っているといった方が正しいかもしれない。従って、非常に参考になる話が多かった。

講義の様子        指導書表紙        当日の講義

 このブログを書こうとしていたら、昔懐かしい友人からのメールである。日付・時間を見たらなんと昨夜の夜中(今朝の)1時だった。夜が寝られないのかなぁ~なんて心配してしまった。というのも、私自身ここ数ヶ月寝られない状態が続いたからだ。”人間なんて、どうせ、寝なければ生きていけないんだから”と、高をくくっているようなところがあったが、いざなってみると、オロオロしてしまうようなところがある。

 まずは、目が痒くなったことから話を始めよう(これは、多分ブログに書いた)。昨年秋、目が痒くなり行きつけの眼科に行った。そこで結果は、花粉症だったのだが、その薬を貰って終わりになるところ、最近目眩が酷いという話から、よく寝れば目眩が弱くなる気がするという話になり、すると、その女医さんが、私もよく寝られない時にする対症療法があるんです、と言う。それは、トラベルミンを飲むという。そこで、その薬も一緒に貰ってきた。乗り物酔いに飲むあれである。

 そして、今度は、行きつけの内科のクリニックに行き、その話をした。すると、ソレを処方しますか、と30錠もくれた。もともと、眠りは早く、よく眠られる方なので、半分飲んでやめてしまった。

 

    トラベルミン                  睡眠導入剤

 そして、目眩なんだから耳鼻科で見て貰ったら、という人もいて、ソレもそうだと思い、近くに市民病院の耳鼻科に。すると、「耳は何でもありませんね」という。そして、神経内科を紹介してくれた。そこが今行っている病院である。そして、目眩の薬以外に写真の睡眠導入剤を貰い、眠れないときに飲んでいた。

 ところがこの薬、強い薬なのか、前夜9時か10時に寝て、翌朝6時くらいまでよく眠れる。しかし、何となく頭が重くなる。そこで、錠剤を半分に切って飲んでみた。すると夜、3時間ほどで目が覚めても、またすぐ眠れるということになった。今でも眠れないと思ったら、半分に切った錠剤を飲むことにしているが、ここ、3,4日は、この錠剤にお世話にならなくても、以前のように眠れるようになった。3時間程度で起きるが、またすぐ眠れる。”眠れない”なんてことは、人生の中でよくあることか、と。

 今は、睡眠に関しては、何の支障も無い。

”・・・” し過ぎ

 おかしなタイトルを付けた。60代の頃も感じたことだが、75過ぎた最近も凄く感じるようになった。同世代の人は同様に感じることだろう。つまり、、、、「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」「やり過ぎ」の類いである。

 一昨日、地域で ”鳥追い” という行事があった。以下に昨年の行事の時の写真と文章をそのまま添付する。

昨年の記事(一部)

 以上のようなわけで、今年も同様なモノを創り、来訪者をお待ちし接待した。私は、もうメインの役員を外れ、監査としてかろうじて役員の末席のようなことをしているが、準備作業の手伝いから始まり、接待役も終盤まで(買って)出た。

 本来、お酒が飲むのが大好きで、しかも、気の置けない仲間と飲むことになれば尚更である。しかし、ここでも、意地汚い酒飲みと化するのである。飲み始める前は今日は ”ほどほどに” で始まる訳だが、飲むほどに、酔うほどにとなる。

 次の日になると、胃の辺りがムカムカしている。朝飯はおいしく頂けない。何でこうなるのか、と考えて見る。昔だったらこの程度のお酒で酔いが回るなんてことは無かった。その当時の経験が邪魔している。昔のように、毎回飲めば、訓練のように前回よりもっと飲めるようになった。ところが、歳を取ると、前回より確実に飲めなくなるのである。三合が二合半に二合が一合半にである。

 そして、食べる方も同様だ。昔なら、ある程度食べ過ぎても、次の日、午前中を過ぎれば元通りになっていた。余程の無茶をしない限り、その程度で済んだのである。     

 この前、耕作放棄地を耕作地に変える作業を手伝った。大した仕事でもないのに1日半手伝ったら、その日は良かったが、翌日から1週間くらい脱力感みたいな感じで体が何となくだるいのである。

 そして先週、女房を埼玉の長男の家に送っていった。片道2時間半の往復をやった。体を動かしたわけではないので、体はどこも痛くならない。ところがである。神経の使い過ぎである。のんびりと50km/hや60km/hで運転しているのと違う。前の車との車間距離、追い越しの車、走行スピード、トンネル内走行、高速道路の分かれ道、神経を使うところは一杯転がっている。更に、常磐道では、一昨年位から一部区間が最高速度110km・hになった。

一昨年辺りから常磐道一部区間で、最高速度110km/hに

 この神経の疲れは、体の疲れと違って、体の奥底から疲れた感じとなる。行ったのは11日だったが、冒頭の鳥追い行事などもあり、やっと今日になり、全ての疲れが取れ、元に戻った感じである。

 ”腹八分” という言葉があるが、歳をとれば、食べること、飲むこと、やること、全て、腹七分くらいに押さえて丁度良い。若いときのことは忘れて、勢いでやらないことだと、改めて実感した。

万年床

 ”万年”という字が付く言葉には沢山ある。”万年筆”から始まり、”万年塀””万年雪””万年床”・・・等々。”万年青”と書いて、”おもと”と読む植物の名前だってある。

  万年青(おもと)      万年雪          万年塀   

 ブロック塀が各家庭で始まった頃、既に、”万年塀” というのがあちこちにあった。今では、工事費のせいか、見栄えのせいか、すっかり姿を消した。一方、”万年青” は、我が家の庭にもある。昔、良く言われた ”万年雪” は、この温暖化で今でもあるのだろうか。ネットから引用した写真は、中荒沢というところの "万年雪" の写真である。

 2,3日前に埼玉に住む息子の所へ女房を送っていった。というのも、嫁が調子が悪く、鍼灸院をやっている息子の生活が自炊生活では大変だろうと言うことで、手伝いに行ったためである。

 息子のマンションで目にした光景。流しの中には食べた皿、丼、茶碗が一杯。そこら中は散らかし放し。椅子があっても椅子の上には荷物、座れない有様。女房の「掃除機かけてよ!」の声。掃除機かけるにも片付けを、まずしないと掃除機もかけられない。

 「汚いねェ~」の女房の声。「これがあなたが育てた息子の現状ですから」とすまし顔の私。ここまでは冗談で通じるが、孫達を育てる二人の息子夫婦が心配になった。特に、次男夫婦には昨年生まれた女の子がいる。私たち夫婦は男二人だからまだ良い。女の子がこんな状態になったらどうしよう、という不安がよぎる。昭和の人間故か。

 そして、これから約1ヶ月の女房の息子邸での生活である。「じゃー、帰るね」と息子のマンションを後にしようと玄関に行きしな、ふと、ドアの開いている右の部屋に目をやると、そこには、息子の”万年床”。「あー、あー、やっぱりな」。恥ずかしいので、”万年床”の写真は載せない。

 昨日は、万年床について調べてしまった。つまり、畳の上に敷く布団の万年床という言い方はあるが、ベッドの場合は何というのだろうと不思議に思ったわけである。夜通しエアコンを付けて寝る人は、寝汗もかかず、上掛けも薄いモノだけなので問題ないだろうが、厚い布団を掛けて寝る人にとっては、畳に上に敷こうがベッドの上に敷こうが多少は違うが、同じようなモノだと思うのである。

 万年床の悪いところは、どうも敷き布団にあるらしい。敷き布団と畳の間に寝汗などの湿気が貯まり、ダニ等の発生のもとになるらしい。ベッドの場合、敷マットの下、つまりベッドの下は空気が流通出来るので良い、とネットには書いてあった。なるほど。でも、何となく納得できない結果となった。

 私は、今日もベッドの上掛け布団(含毛布)だけは畳んで重ねておく。かって、大学時代の頃、下宿生活だった。そこに学生が10人位住んでいた。そこにも ”万年床” に近い学生もいたのを思い出した。ここは下宿だったので、下宿のおばさんから口うるさく注意された。そういえば、時々、1階の屋根に布団を干したことも思い出した。もう、50年以上前の話だ。

自分にだけ都合の良い社会(近代技術)

 新年元旦、近くの地域神社に初詣。そしてその足で、海で初日の出を拝もうと、時間の6:40を待った。地平線上に雲がかかり、初日の出は拝めなかったが、相変わらずの人出である。

 今年は長男が、帰省できないので、いつも撮っている初日の出(陽は出ていないが)の写真を、新年に挨拶文に合わせ送る。

陽が上がらない初日の出        初日の出を見るのに集まる車 

 朝刊を見ると近くのスーパーが元旦から開店のようだ。早速出掛ける。信号機が赤だ。そこには歩道。そういえば、年末、信号機のない歩道で停止せず通過したら捕まった女性運転手がいた。警察官に、全く危なくないのに通過して何が悪いと食ってかかっていた。そんなことを思い出しながら、歩道を歩く女性を見て見ると、歩き始めから歩道を歩き終わるまで、全く左右を見ない。そんなこともあるんだ、と別の歩行者を見ると、これまた同じ。

 つまり、歩道は安全地帯と勘違いしている。暴走する車だってあるのに。暴走車に轢かれて死んじゃったらどうするのかといささか心配になった。こんな例はいくらだってある。

 

 毎度のことながら、今年も演歌だ。チャンネルを回すとやっていた。

昭和は輝いていた”、吉幾三特集

 ”昭和は輝いていた” 吉幾三特集だった。武田鉄矢司会の番組だ。ご両人とも昭和の人間。一杯、歌ったが、”昭和の背中”。子どもの頃、親におんぶされて母親が野良仕事なんて場面は珍しいことじゃなかった。年老いた母を、今自分は背負えない(おんぶできない)、ごめんね、という歌である。

 ここで先の例が出てくる。武田鉄矢が上手いことを言った。「昔は ”おんぶ” と言えば、背中にするモノだった。しかし、今は違う。前に ”抱っこ” するスタイルだ」。更に続ける。「ここで重要なことがあるんですよね。”おんぶ” された子どもは、あちこち眺めるのに対し、”抱っこ” された子どもは、母親の顔だけを見る」。良いようだが、世界を社会を広く見るのと母親だけを見るのとどちらが? と思えば、"おんぶ スタイルの方が良くないか、と思ってしまう。昭和の人間故か。

 現代は便利になった。今の自分に都合良くなった。しかし将来の自分には?子どもの将来には?である。確かに横断歩道で車が止まらないのは危ない。だからといって、危険予知能力が落ちてしまうのは良くない。確かに子どもの安心ということを考えれば ”抱っこ” の方が良い。でも、世界や社会を眺め回すのも理解力の乏しい赤ちゃんにだってきっと役に立つに違いない。

 病院へ行けば、薬漬けである。薬に頼る。病院の先生が言う。「病気を治すのは、薬じゃなくて自分ですよ」と。こんな例は、あちこちに存在する。