ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

自分にだけ都合の良い社会(近代技術)

 新年元旦、近くの地域神社に初詣。そしてその足で、海で初日の出を拝もうと、時間の6:40を待った。地平線上に雲がかかり、初日の出は拝めなかったが、相変わらずの人出である。

 今年は長男が、帰省できないので、いつも撮っている初日の出(陽は出ていないが)の写真を、新年に挨拶文に合わせ送る。

陽が上がらない初日の出        初日の出を見るのに集まる車 

 朝刊を見ると近くのスーパーが元旦から開店のようだ。早速出掛ける。信号機が赤だ。そこには歩道。そういえば、年末、信号機のない歩道で停止せず通過したら捕まった女性運転手がいた。警察官に、全く危なくないのに通過して何が悪いと食ってかかっていた。そんなことを思い出しながら、歩道を歩く女性を見て見ると、歩き始めから歩道を歩き終わるまで、全く左右を見ない。そんなこともあるんだ、と別の歩行者を見ると、これまた同じ。

 つまり、歩道は安全地帯と勘違いしている。暴走する車だってあるのに。暴走車に轢かれて死んじゃったらどうするのかといささか心配になった。こんな例はいくらだってある。

 

 毎度のことながら、今年も演歌だ。チャンネルを回すとやっていた。

昭和は輝いていた”、吉幾三特集

 ”昭和は輝いていた” 吉幾三特集だった。武田鉄矢司会の番組だ。ご両人とも昭和の人間。一杯、歌ったが、”昭和の背中”。子どもの頃、親におんぶされて母親が野良仕事なんて場面は珍しいことじゃなかった。年老いた母を、今自分は背負えない(おんぶできない)、ごめんね、という歌である。

 ここで先の例が出てくる。武田鉄矢が上手いことを言った。「昔は ”おんぶ” と言えば、背中にするモノだった。しかし、今は違う。前に ”抱っこ” するスタイルだ」。更に続ける。「ここで重要なことがあるんですよね。”おんぶ” された子どもは、あちこち眺めるのに対し、”抱っこ” された子どもは、母親の顔だけを見る」。良いようだが、世界を社会を広く見るのと母親だけを見るのとどちらが? と思えば、"おんぶ スタイルの方が良くないか、と思ってしまう。昭和の人間故か。

 現代は便利になった。今の自分に都合良くなった。しかし将来の自分には?子どもの将来には?である。確かに横断歩道で車が止まらないのは危ない。だからといって、危険予知能力が落ちてしまうのは良くない。確かに子どもの安心ということを考えれば ”抱っこ” の方が良い。でも、世界や社会を眺め回すのも理解力の乏しい赤ちゃんにだってきっと役に立つに違いない。

 病院へ行けば、薬漬けである。薬に頼る。病院の先生が言う。「病気を治すのは、薬じゃなくて自分ですよ」と。こんな例は、あちこちに存在する。