ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし⑲

メールの返信 

 話が大分それたが、一日の過ごし方について話を戻す。

 こうして検査課の朝礼が終わると、自分の席について、メールを眺め返信を書いた。特に自分あてのものには、必ず、速やかに返事を書くようにした。都合で遅れるようなときには理由を書き、何時何時まで待ってくれるようにと返事を送った。自分が部下などに指示を流した時に返事がないと、分かったのか分からなかったのか分からなくて気掛かりなものである。相手にそんな思いをさせたくないことから、このように心掛けた。最近、若い人や外国人にメールを打つことも多いが、返事が一切ないことには閉口である。最近では、これが現代風というのかと思い、指示もしっぱなしにすることにして、困れば、何か言ってくるはずと決めつけることにしている。

 こうして、メールを読んだり、返信したりしていると、あっという間に午前中が過ぎた。

 

お昼の時間

 お昼の時間である。当初は5人いた日本人駐在者と一緒に近くの工業団地内のホテルに併設された日本食レストランで食事を食べた。料理が出てくる間、時期遅れの漫画や週刊誌を見ながら、よもやま話、時には仕事の話をするのが結構楽しかった。日本人からフィリピン人へは英語であるから通常の勤務では、半分日本語(日本人に対して)、半分英語(フィリピン人に対して)が言語であるが、この食堂ではすべて日本語で何のバカな話をしても良いのである。仕事中会社などで、日本語で仕事以外の話しや従業員の話などをしていると、分からないはずの従業員が、突然、こっちを向いて、何を話している?という目で見るから不思議である。そんな心配もせずに、たわいもない話を日本人同士でできるのも、ひと時のこの時間だった。

 

会議の時間

 そして、午後になると、会議が待っている。会議は、従業員相手であるから当然英語だ。日本で2,3万円で買った電子辞書持参での出席である。フィリピン人の言葉が分からないと辞書を引き意味を調べ、スペルが分からなければ、彼らに聞いて辞書を引いて意味を調べて理解するということが結構続いた。当然ながら帰国する頃には、この電子辞書もほとんど使わなくなったことも言うまでもない。しかし、帰国するまでの間、何万回、何十万回もお世話になった電子辞書である。十分に元は取った。現在、日本語を外国人に教えているが、彼らが、私の日本語が分からないと、スマホの辞書機能を使って意味を調べている。この姿を見ると、15年前のフィリピンでの自分の姿を思い出す。

 

訪問者対応

 また、訪問者もある。全て、外国人であり英語での対応となる。かって、工事や資材で培った体験、経験で、世間話などで困ることはない。また、仕事の話しになっても、会社の代表者という立場から、自分で結論を出す必要がある。従業員の話を聞き、相手の話も聞いたうえで、その場で結論を出せるというのも、社長ゆえの醍醐味で楽しいものである。親会社で勤務していた時は、主任、課長、部長、副工場長などに報告して結論を出すことになるが、自分の意見が通らないことも間々あるものだ。自分が思う方向にならないとき、その都度、地団太を踏む場面も結構あった。しかし、一国一城の主になれば、経営責任は問われるが、一つ一つの案件でどうのこうのということはない。そういう瞬間に、社長という立場を与えてくれたかっての上司に感謝したものである。こんな楽しいひと時はなかった。

            (次回に続く・・・)