見っともない
その昔、巷で良く、「みっともないからやめなさい!」と言われたものである。「みっともない」を辞書で引いてみた。「ミトモナイの促音化。見るに堪えない、外聞が悪い」と出ている。ミトモナイ=ミトウモナイ=見たくもない、である。つまり、相手に見られると恥ずかしいからやめなさい、という意味で使ったのである。でも最近使っているのを聞いたことがない。
母親の教育
我が家では、父親に言われたことはないが、母親が良く言っていた。ズボンが破れては言われ、靴下に穴が開いては言われた。そういった教育があったせいか、人の持ち物を欲しがるのは卑しいと思うようになり、自然と、人が食べているものもおいしそうだとは思っても、それが食べてみたいとはそれほど思わなくなった。母親は良い家の出だと良く言われた。つまり、母親がそうした教育を受けてきたのを、私たち子どもにしてきたということのようだ。
フィリピンの朝礼
さて、フィリピンの話である。
ある時の朝礼での出来事である。一人のエンジニアが、検査課の朝礼に遅れてきた。話はずれるが、フィリピン人のエンジニアは、ナップザック(今は何と言うか分からない)を背負って歩くのが流行っていた(今、日本でも流行っているが)。朝礼は、回るく輪になって、課長の話、そして作業長から、その日の予定などの連絡事項などが伝達された。そして、この遅れてきたエンジニアは、その輪に加わったのである。その日は、日本から検査のベテランが来比し、検査方法などを指導してくれていた。その指導員が色々話をしている最中である。
朝礼での出来事
そして、遅れてきたこのフィリピン人のエンジニアに向かって、自分が持っていたチョークをポンと投げたのである。昔、学校などで、授業中無駄口を友達と話していたりすると、先生がチョークを投げつけたのである。でも、この時は、投げつけたのではない、下からポンである。ところが、この行為が物議をかもしたのである。一通りの朝礼の議事進行が終わり、これからそれぞれの現場へ散っていくと言うときに、先ほどのエンジニアが、この日本人の指導員に、血相を変えて、食って掛かったのである。
フィリピン人の心
私は、この時、検査課の課長でもあったので、この指導員の通訳係としても出席していたので、理由がよく分かった。一言で言えば、「みんなの前で恥をかかされた」ということである。ちょっと考えても欲しい。チョークをポンと投げられただけで、恥をかかされたとは大げさな、という感覚が日本人だろう。「みっともない」を教え込まれた私でさえ、最初は意味が分らなかった。
モノを投げる行為
このエンジニアの話を聞いて初めて分かった。フィリピンでは、モノを投げてよこすということは、人間に対して絶対にしてはならない行為なのだそうだ。投げてモノをあげるのは、人間が動物、馬や牛、豚にする行為であって、今回のこの指導員の行為は、このエンジニアを動物同様に扱ったということになるんだそうだ。聞いてみれば、なるほどそうか、である。
価値観はいろいろ
理由を聞いてみれば、価値観の相違である。中近東だって、他のアジア諸国だって、こういったことは良くあることだ。前々回書いた、掌を出してお金を催促する行為と、チョークを投げられる行為とどっちが自尊心を傷つけられるだろうかと考えたら、日本人の場合、圧倒的に前者だろう。でも、フィリピン人の考え方は違う。ただ掌を出したのではない。車のガラスを掃除するという行為に対しての対価を求めたという解釈であり、自分が「見っともない」ことはないのである。
世界は広い。よく、考えると楽しくなりませんか。フィリピンっていう国が。
(つづく、・・・)