ミドさんのブログ

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超帰省

『超帰省』の動機

 「『超帰省』、この言葉が、広辞苑に載ることが夢です」と語る、”超帰省協会”の役員たち。そんな言葉ないよなー、なるほど、と番組を見続けているうちに納得できた。田舎生まれ、田舎育ちの人たちは別にして、都会育ち、都会生まれの若者は多い。田舎の故郷を持たない。コンクリートとビル、電車と自動車に囲まれて育った子供たち。そうした子たちに共通しているのは、自然と人間との交流不足である。

 

自然と親しむ、今どきの若者

 山があり川があり、緑があり、森林を抜ける涼しい風があり、小鳥のさえずる声がする。たまに遠くに聞こえる電車の音、田舎暮らしには当然のことが、都会育ちには珍しいことに思える。毎日は嫌だけど、たまには、そういう思いをしたくなるのも、田舎者の都会暮らしでもある。元々、田舎のない都会人たちに、その思いをさせてあげたいと田舎育ちの都会暮らしの若者が立ち上がったのだ。

 

若者同士で楽しむ『超帰省』

 そして、その若者たちには、自分を育ててくれた田舎に陽を当てたいという気持ちもあった。そして、友達を誘い、知り合いを誘って、自分の田舎に連れて行き、田舎の町並み、田舎の名所、田舎のよく遊んだ場所など、昔懐かしい場所を案内し、紹介して歩くのである。そして、自分の故郷になる実家で、仲間と一緒にバーベキューなどを楽しむ、これが、「超帰省」である。ひと昔だったら、若者は、「そんな田舎に行きたくない」と言ったものだが、どうも、今の若者はそんな若者ばかりじゃないみたいだ。

 

田舎にもメリット?田舎体験

 こうした現象は、若者にメリットがあるばかりではない。そうして訪問した田舎の町に若者の活気が増え、たまの訪問客しかいない商店、田舎の旧跡、会社などにも、観光客のような超帰省者が増えることになり、町が潤うことになるのである。

 こうした現象も、核家族の一種の弊害・影響であろう。昔だったら、祖父母の話が聞けた、また、両親も自分の子どもの頃の田舎暮らしの話が出来た。ところが身近なところにそうした大人がいないのである。結果として、友達で、知り合いで、田舎暮らしを知っている人の助けを借りて、田舎体験を楽しむということになるのである。

 

義務人足

 話は変わるが、今日は、地域の年中行事、「人足」だった。地域の人が、畑や田を所有していると、春人足、秋人足などと言って、畑や田んぼの周りの草刈などを行う行事だ。畑を作っている、田んぼを耕作しているにかかわらず、所有者は、その労働に駆り出されることから、「義務人足」などとも呼ばれている。

 地域の田んぼを、地域・地域で割り付けをして、その道路脇の水路脇をきれいに草刈りをするのである。8時から始まり、大体11時位には終わる、2時間から3時間の作業だが、昔は、鎌などを持って行ったのだろうが、今は、みんな草刈機を持って参加する。この行事は、恐らく、戦後の農地解放後に、かっての地主も新しい地主も一緒になって行った行事なのだろうと思われる。

 

酷暑の中の作業も、昼寝で緩和

 今日は、いつもとは様相が違った。いつもなら借りとる草が道路脇に生えているが、それが、除草剤で黄色に変色し、枯れているのである。幹事役が、気を利かし、酷暑の中の作業では、ということで、農家に頼んで除草剤を撒いたことで、殆どの作業がなくなった。それでも暑いには暑いが、毎年の作業量の1,2割で終わった感がある。

 今日は、酷暑の中での作業後、シャワーを浴びた。これから、昼寝を貪ろう。