友人の素晴らしい庭
大学時代の友達から素晴らしい庭の写真が送られてきた。素晴らしいので、本人の了解をもらいブログで紹介させていただく。
実に彩り鮮やかな庭だ。木も手入れが行き届いている。芝も雑草などなく綺麗に刈られている。
実は、2,3日前にも素晴らしい庭に出会った。同じ地域で役員をしていた仲間の庭である。この庭は、毎年時間がある時に自分で手入れしている手作りの庭でした。
放りっぱなしの我が庭
私も庭いじりがそこそこ好きで、あっちの木を切ったりこっちの木を切ったりなどをしていましたが、昨年は一切手を付けず、雑草取りだけをしました。それぞれの木が、今では、無残な姿をしています。なにせ、雑草取りだけで端から端まで丁寧にやると1週間がかかります。簡単にやろうとしても、ついついあそこも、ここもとなってしまい1週間かかる羽目になります。そんなところから昨年は草取りだけで木の手入れは一切無しとしてしまいました。
コロナが影を落とす庭の手入れ
これには、コロナの影響も多分にあります。子ども達の帰省がなくなったことです。子ども達が来ると言っては、そのたびに庭の手入れをしてきましたが、来なくなり、「見てくれる人もいないので、いいか」となってしまうわけです。自分一人なら、それほど気にはなりません。相棒である女房殿と言えば、全く関心がありません。「手入れ終わった木」という木も、自分の歩く邪魔になれば切ってしまう。「どうして?」と怒る私に「だって、歩くのにじゃやまだもん」という始末。
この前は、手入れをズッと続けて、折角格好が良くなってきたと思われた松の木の左半分の幹を3,4本切られてしまいました。その理由が「下から綺麗な水仙の花が出てきたが、松が邪魔で見えないので切った」という有様。
松や椿、水仙、等々
てなわけで、庭としての体をなしていないので、我が家の庭は、今咲いている花だけでご勘弁頂きます。
と言うわけで、花の紹介は終わりです。
今後の庭の手入れ
さて、どうしてこんなことが起きるのかなと考えて見ました。私は、田舎育ちで、庭木が花を付けるものとの思いがあります。つまり、花単体ではなく、木があって花があるとの思いが強いのです。従って、花だけを愛でる女房殿とは大きく異なること。そして、花は買ってくれば綺麗な花は飾れると思っている節があり、育ちも田舎ではないと言うことも大きく左右していると思われます。
趣味を合わせる??
更に大事なことは、亭主のやっている「庭の手入れ」に全く興味がなく、その木を切るなんてことがどんなに気持ちを傷つけるかが分かっていないことです。
さてさて、これからどうするか、今年はどうするかを考えなければなりません。そのまま放っておくわけにもいかないので、逆境にめげず、今年こそは、庭木の手入れに専念しよう!