ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

身の丈に合った勉強

遊びからの経験

 昨日、中学生の理科の正答率が5割を切った話を書いた。そして、子どもに余りにも至れり尽くせりに親がする故、子どもの理科的な発想力、分析力などを阻害していると書いた。

 今朝の読売新聞、”編集手帳”。同じことを言っているなーと読んだ。全国学力テストで「どうすれば磁石の反発力を探れるか」という問題が出て、実験の方法を書けない生徒が多くいたらしい。

 私も正答は分からないが、磁石にはプラス・マイナス極があるわけだから、プラス同士、マイナス同士を近づければ、反発力が出て、相手は逃げるようになるはず。こんなことは、子ども頃、よくやって遊んだものだ。遊びから経験することだ。

 

子どもの性癖

 昨日、中学生にボランテアで数学を教えた。英語も教えた。そして、大分前には、小学校で、子どもたちに教える場面に出くわした。すると、子どもたちは、問題を見ないで、式を解こうとするし、英語ではともかく解答を早く書くことに集中する。すると、どうしたことが起きるか。「出来た!」と子どもたちが思ったことが正しくないのである。最後まで、問題をよく読んで解くということが習慣づけされてないからだ。もっとも、これは子どもの性癖でもある。

 

問題の与え方

 具体的に言えば、英語の問題で、「現在形の動詞の入った語群から正しい語を選び、適当な形に変えて書きなさい」という問題で、語群の中にある ”play(遊ぶ)” という語を選んで書き、正解だと思っている。正解は、”played”と過去形で回答することである。つまり、問題を注意深く見る、観察するということが疎かになっているのである。

 次には、「問い」の文章を除いて、問題を解かせてみようと思う。これでも、解こうとするはずである。「解けない」「どうしたらいいんですか?」と子どもたちが聞いてきたら正解である。

 

忙しい時代に育った私たち

 我々の時代は、忙しい時代だった。競争の時代だった。人より早く、良いものを作り世に出すことが命題だった。”良いもの” という概念の中に、質の良いもの、良いと感じやすいもの、良い思いのできるものなど、二次元的、三次元的な ”良い"という概念でなく、一次的な ”良い” という概念だけが強調された時代でもあったように思う。

 ところが、今は、一次的に更に二次的な、そして三次的な要素まで要求されるようになり、その上、早く、便利に、考えなくて済むなどの要素も加わることになった。

 

その孫たちの生き方

 そんな時代に住む子どもたち。小さい時は小さいなりに、身の丈に合った勉強の仕方があるはずである。幼稚園もない、30分も歩いて小学校へ行き、自転車で20分も走り中学校へ行った田舎暮らし、文化が発達していなかった当時の田舎育ちの私でさえ、高校を卒業し、人並みに大学へ行き、企業に入り、定年まで会社生活を続け、世界を飛び回ってきた。塾に行かなくても、一流高校、大学に行かなくても、豊かな生き方があるはず。

 「そんなに急ぐな!」と親たちに言いたい。子どもたちに、そんな暮らし方を教えてもらいたいと思うがいかがだろう。