トルコ人に日本語を教えたい
一昨日だったか、妻のお友達の娘さんがトルコから帰国していて、トルコ人に日本語を教えたいと言っているようだった。そこで昨日私に電話がかかってきた。「どんな本で教えているのか」という問いかけだった。一概に言えないが、レベルや性格、日本語をやりたい状況などなど色々あることを伝え、「みんなの日本語」の本を教えた。すると、アマゾンで見てみますという。本の中身までは分からないので、「本を見たらどうですか」「教え方もいろいろありますよ」と伝えると、まず、アマゾンを見てみて分からなければお邪魔します、という。
教えてみようという興味
分からなければ2時半にお邪魔しますというので待っていると、やっぱり、やってきた。「みんなの日本語ⅠとⅡ」と「手引き」を見せ、使い方や教え方を教えてあげた。どうも買ってトルコに持ち帰るようだ。
聞くとトルコで同じアパートの一階に住む大学生が日本語を勉強したがっているようで、その手助けをしてあげたいと思っているようだった。この本は、横に教えた方が繰り返し教えることになるので、縦より横が良いとか、教案を作って教えた方が良いとか、手引きも事前に読んでとか、我々がやってきたことを伝えた。
実際のところは、教えてみないと面白みも大変さも分からない。
長く続いている日本語ボランテア
私自身が日本語をボランテアで教え始めたきっかけはひょんなことからだったが、そこからのめり込み始めもう10年になろうとしている。8年前(2014年)に作ったパソコンに入っている教案を引っ張り出した。懐かしい思い出である。
長く続いているのも、毎回、毎度教えられることが多いこと、その都度、今度はこんなことをやってみようという興味が湧き、奮い立たせるものがあるからだ。教本と言われている本も一杯ある。その都度、外国人に分かってもらえるようコメントを各課に差し込む作業も実に面白い。ネットなどで調べている途中で分からないだろうなということがあれば、その説明資料を作ったり、外国人でも分かるような説明を付け加えたりの楽しみは尽きないのである。
記憶力もぼろぼろ、行動力もぼろぼろになりかけているが、興味が湧き、楽しいと感じる間は、もう少し続けたいと思っている。
神棚にしめ縄を
お正月に向けてて神棚にあげるしめ縄を1日かけて作った。本来、2,3時間で出来る作業だが、楽しみながら作った。近くの神社のしめ縄もプラスチック製になってしま
た。原因は、古くなり色が変わり見栄えもよくなくなるからで、しめ縄交換をするのも重く、年々年老いてくる氏子の皆さんには重労働になってきたからである。
地域の集落センターで、子ども達や近隣の住民を集めてしめ縄の作り方の講座などもやったものだったが、最近はやらなくなった。だんだんと伝統が無くなっていく。
心静かに、新年を迎える準備を楽しみながらするというのも良いものだ。