ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

三冊目の自主出版本、書けるか?

気忙しかった年末年始

 年末から年明けにかけて、二人の息子とその子、つまり孫たちが時間差でやってきた。私は特別に担当がある訳ではないが、それでも、何となく気忙しいものである。地域の役員を引退してから年末の神社当番も無くなったので、大晦日遅く出かける必要もなくなった。しかし、現役員が大晦日から元旦にかけて神社当番をしてくれているので、その慰労に元旦の日の出を見るためもあって、高台にある神社へ行った。

 

思い出深い、守り神社

 小さな神社である。昔から我々が子どもの頃から、親たち地域の人たちで守ってきた地域の守り神、神社である。それを引き継いで今日に至る。

 当然だが、神社にいる神主が常時いるわけではないし、お正月だからと言って”おみくじ”がある訳でもない。お正月に嫁も含めた孫たちが来ると、神社詣りを妻も含め一緒にするわけだが、何もない小さな神社より、いろんな行事のある神社の方が良いとばかり、少し離れた大きな神社へ行くのである。寂しい限りだ。ついでに言うと、初日の出を撮ったつもりが携帯の扱いが拙かったらしく撮れていなかったので、息子から海岸で撮った写真をもらったので、「初日の出の写真」を添付する。

海岸から撮った初日の出(長男が撮影、その写真をもらう)

 

農業委員業務に戻る

 そして、5日になりやっと正月気分から抜け出し日常に戻った。今日は朝から農地調査である。調査結果を添付する。

ある地域の農地調査結果(赤色は耕作放棄地、緑色は耕作地)

この図面は、私が担当する中でも耕作放棄地の多い地域である。昨年の12月10日過ぎから1日数時間の時々調査に出かけ、今朝やっと下半分が終了した。上半分は3年前に調査した結果である。昔の畔は区画整理がされていないので曲がりくねり、しかも地番と現状の1枚の田んぼの形状が違っていたりで非常に手数がかかる。この後、放棄地の所有者を調べ、今後耕作する意思があるかどうかの意向調査を実施するのである。そしてそこから先も農業委員として、まだやることが多くある。長くなるのでこの辺で止める。

 

電子書籍は良いか?

 今日、早朝起きてテレビを点けたら、NHKの「視点」という放送があった。作家で評論などをする今村翔吾さんが出ていた。「読書」や「本」についての話だった。

 ”思い出の一冊”などという言葉があるように、昔読んだ本には愛着があるものである。ところが、最近本という物理的なものがなく、文章だけをネットで読むという電子書籍のことである。そうした風潮をいかがなものかと意見を述べていた。

自主出版本(一冊目)           自主出版本(二冊目)

 「本」という実態がある。一方は、中身は読んだ。内容は知っている、という事実は残る。この違いである。

 

自主出版本、三冊目書けるか

 私は、思い出や記憶は忘れ去られるし、忘れてしまう。それを元気なうちに書き残しておこうと思い立ち、定年になりすぐに書き始めたものが「時代の遺書」であり、「サラマッポ」である。サラマッポは、フィリピンに5年半駐在したが、その時感じたフィリピンの人たちの性格や考え方などを記した本だ。今、読み返すと、忘れていることが一杯ある。書き残しておいて良かったと思う。書く側にとっても良い。

 三冊目を書き残したいと、2,3年前から思い立ったが、なかなか書き出せないでいる。さて、さて、今年は書けるだろうか。

 

 

 

 

正月早々、病院詣り

 2023年が明けた。皆さん、新年あけましておめでとうございます。

さて、何の記事を書こうか悩んだ。一杯書くことはあるが、いずれも短く済んでしまうので何と何を組み合わせようかと悩んだ。

 

年末・年初の子ども・孫の帰省

 今年のお正月は、長男と孫が帰省してくれて、お陰で楽しいお正月になった。昨年末次男が生まれ、嫁と赤ちゃんは帰省中で、その合間を縫って帰省してくれたものである。妻は、何を食べてもらおうかと2,3日前からソワソワ。鍋にしようか、肉にしようか悩んだ末、大晦日はすき焼きに決まった。私もお相伴にあずかり、妻の料理(と言えるかどうか分からぬが)を食べるのも、大勢(と言っても孫入れて4人)で食べるのも、年末に次男と孫が帰省してそれに引き続いてということになる。なぜか幸せな気分である。

 

家族団欒の記憶

 すっかり忘れた、長男、次男を育てていた頃を思い出す。こんな風景が当時の我が家にもあった。小さな子どもたちと夫婦で団欒を囲んでいた頃である。きっと、小さな孫たちも少し大きくなるとこうした団欒はすっかり忘れてしまうことだろう。ただ、重要なことは「田舎のじいじ・ばあばの家は楽しかった」ということだけは記憶の片隅にきっと残るに違いない。そう信じよう。でも、嫁は寂しい思いをしているかも。

 

コロナ感染者、下降傾向?

 年が明けてもコロナ感染者数のデータを引き続きとっている。関東の近隣県、全国のデータが下がり基調に入ってきたように感じるのである。嬉しい限りだ。

コロナ感染者、少なくなってきた?

 12/30を最高点に、週間感染者数も入院・療養中患者数も下降局面なのだ。当初は、年末・年始でサンプル数が少ないせいかと思ったが、入院・療養中患者数も少なくなっているので間違いないのではと期待を寄せている。

 

年寄りの病気、バァ、バァ、バァ

 もう一つ、嬉しいことがある。歳をとるとあちこち体にガタが来るが、内臓疾患であれば、素人でも飲みすぎ、食べすぎ、寝不足、体の使い過ぎ等など、いろんな原因が分かる。ところがだ。訳の分からぬ症状が出るのだ。まずは、耳鳴り。ジージーと耳元でうるさい。そう言えばバァ、バァ、バァというのがあった。ベトナム語で「3・3・3」をこう呼ぶのだそうだ。ベトナムビールの有名な銘柄である。

 

原因不明の「めまい」

 そんなことはどうでもよいが、もう一つ、年末から気になることがあった。「めまい」である。もう10年以上も続くが、なりたての頃、色々の病院を回り、耳だの脳だのと調べてもらったが「原因不明」だったのである。そのめまいが昨年末になり酷くなりだした。

 滅多なことでは、妻にも言わないが、今度ばかりは何かあったら困ると思い、妻にもチョットだけ話した。すると、予想通りの反応があった。「どうするの!何かあったら!すぐに病院に行きなさい!」である。病院やお医者様を神様のように思っている妻である。”やっぱりな”である。

 

正月早々の「病院詣り」

 そこで、正月早々の「病院詣り」と相成った。

聖麗メモリアル病院

県北地方で脳神経専門と言えば「聖麗メモリアル病院」である。早速行ってみた。期待を込めて。「問診室」なるものがあり、色々聞かれ一通り答えると、診察で待っていて下さい、と。こりゃー、待たされるなと思い、郵便局へ行こうかと駐車場へ行くと携帯が鳴った。病院からである。順番が来たので戻ってくださいという。戻ると診察だ。先生に症状を訴えると、「一応脳の写真を撮ってみますかね」と言う。嫌な予感。

 

心が病んでいるおばさん

 CT室の前で待っていると、近くに公衆電話があった。滅多に見られない公衆電話だ。思わず写真を撮ろうとした。すると、その前で懐中電灯を照らして公衆電話の中を覗いているおばさんがいる。何を見ているのかと不思議に思い、しばらく様子を見ていると、突然、「・・・・・・!」と大声でしゃべり出した。意味不明である。耳が遠くなったので、そのせいかと一生懸命聞き耳を立てる。やっぱり分からない。

 おばさんが電話を離れたので写真を撮った。そしてCTの順番を待った。なかなか順番が来ない。すると突然、また、大声である。「・・・・・!」。あのおばさんが、また病院のどこかで大声をあげているらしい。かなり病んでいるようだ。脳外科だから精神病の人も紛れ込んでいるのだろうと納得。

 

原因の分からない病気

 そして、CT室で写真を撮った。間もなく、診察があった。CT画像を見ながら若い先生が言う。「脳も委縮していないし、血栓も見られません。特に問題ないですねェ」だそうだ。「分からない『めまい』ってあるんですか?」と質問すると。「あります」との答え。「そんなのってあり?医者のくせに!」。エンジニアだって、解明されないことが一杯ある訳だから、医者の世界も一緒か!と変な納得。

 モヤモヤしたものを抱えながら帰途に就く。「マァ、それでも医者でもわからない病気で、大事はなさそうだ」と変な納得と安心。

病院内の懐かしい公衆電話           日立おさかなセンター         

変わった、昔の風景

 帰りに、昔二人の男の子を育てている頃、家族でよく行った「日立おさかなセンター」に寄ってみようと立ち寄った。あれからもう40年くらい経つ。大分変ったし、大きくもなった。何か買おうかと思ったが、値段が高く買う気になれない。

 そういう目で帰途の道を車で走りながら見てゆくと、地形こそ変わらぬものの、あちこち店仕舞いしたり、建物が変わったりしている。40年の年月は長い。

 ついつい文章が長くなってしまった。次回より、また、1200字を目標に書くことにする。

 今年も、新しいことを見つけて頑張ろう。

 

よい、お年を!!!

趣が違う、レコード大賞番組

 年末になるとテレビ番組も変わる。いつものおなじみの番組が見られないのだ。一方特集番組なども増える。懐かしいレコード大賞の歌謡番組があった。昔の趣とは異なり年寄りには全く馴染みのないエレキギターやドラムを鳴らし、ドンチャカ、ドンチャカ。そして歌っている歌詞といえば、本を読んでいるような説明付きの歌詞となる。つまり、日本の趣のある余韻を残し、聞いている人に心情を読み取って欲しいといった奥深い歌詞ではない。年寄りには聞いても面白くないとチャンネルを変える。

 

NHKドキュメント72時間樹木葬

 2,3日前も、夜中にやっていた、NHKの「ドキュメント72時間」という番組の再放送だった。2,3日前の夜中にやっていたのは、この番組をずっと見ている視聴者のファン投票による「歴代ベスト10」だった。

NHKドキュメント72時間、3位(海が見える老人ホーム)、7位(樹木葬

10位から順番に紹介し、コメンテーターがその内容についてあれこれとコメントを付ける番組である。最初に気になったのは7位「樹木葬」。日本社会では「お墓」の存在は大きいし「死」に対する畏れや敬意を感じる国民性と言える。季節、季節の行事やお盆参り、それに付随した里帰りなど、全てが「死」に直結している。

 

お墓の存在

 お墓と言えば墓参りである。実家の近くには先祖代々のお墓があり、自分が生を受けた先祖に感謝を述べ、現在健康で元気でいることへの感謝を述べるのである。そのお墓が、公園の一角の桜の木の下にするといった樹木葬である。樹木葬を望む人は、結婚しなかった人や親せき・親兄弟が縁遠い人たちである。自分は、風光明媚なみんながいつも訪れてくれる場所が良いと決めるらしい。こうした人たちにだって先祖はいるはずだが、自分は良いとして、自分を生み育ててくれた両親はどうなっているのかと不思議に思ってしまう。自分の墓参りに来てくれる人がいないのだから、両親が眠っている昔の先祖のお墓より、自分が良いところの方が良いという訳だろう。

 

産科、女医さん 

 そして、2位は「大病院の小さなコンビニ」。私も入院したこともあれば、妻が入院したこともあるので、そこにあるコンビニは良く利用した。確かに色々な人が訪れる。勿論、外部の人は見舞客などで、殆どが入院患者関連者と病院スタッフ・お医者さんである。そこへ訪れた若い感じのいい女性にインタビュー。

ドキュメント72時間、1位(秋田 真冬の自販機の前で)、2位(大病院の小さなコンビニ)

 聞けば、産科の女医さんだった。医者稼業は苦しいという。でも、医者で「おめでとう」と言えるのは産科だけということでその医者になったとのこと。勤務中に苦しくて4回泣いたという。医師が泣くというのも初耳で新鮮だった。苦しくて泣いたことも、嬉しくて泣いたこともあったことだろう。

 

昔懐かしい、うどんの自販機

 そして、いよいよ1位は「秋田の真冬の自販機の前で」の3日間カメラを構えて、訪れる人にインタビュー。まさに人生の縮図でもあった。懐かしい昔の見覚えある自販機である。私も、私たち家族もお世話になった。寒い時に、自販機の前で食べるうどんは格別である。デートの度に食べる人、年寄り同士の昔話をする人、吹雪の中、車の中で食べる人、若い時グレて癒しの場所となった自販機、シングルマザーになっても子どもと訪れる自販機、極めつけは、突然のガン宣告に癒しを求めて訪れた自販機前。

 人間、チョットした会話やモノで心が癒されることは一杯ある。たった200円だが、心の通じた一杯に乾杯、そしてロケに完敗だった。今年はダジャレで終わろう。

 

よいお年を!!!

孫の成長にビックリ!!

孫との再会

 2,3日前から、次男とその子(孫)がお泊りに来ていた。嫁は身重なため、移動もさることながらコロナのこともあり、千葉に留守番となり、二人を亭主の実家に孫付きでよこしてくれたようだ。かって若い頃、同じ思いをした我が身としては、嫁が快く実家に行かせてくれるのはありがたい限りである。嫁に感謝、感謝である。

 

字が読める孫にビックリ

 しばらく見ないうちに孫が大きくなったこともさることながら、知恵というか、大人と対等に話ができることにビックリ。何を聞いても、何を言っても、こちらの言うことが分かるし、分からなければ聞き返すのである。そして何よりビックリしたのは、ひらがな・カタカナ、挙句、簡単な漢字まで読めるということである。ちなみに孫はまだ幼稚園の年長組。

 

オセロもカルタも出来る

 我々の子ども頃は、田舎には幼稚園などなかったし、あっても行かなかった我が身としては、小学校入る前から字が読めるなんてことは考えてもいなかった。

       孫と楽しむオセロやカルタ。      孫の読ませた「みんなの日本語

今どきの子でも、流石に幼稚園ではひらがな・カタカナは教えないようだが、本を読むように親が仕向ければ、字が読めるようになるようだ。なるほど、嫁の子ども教育も大したもんだと感心してしまった。

 更に、写真であるようなオセロは勿論、カルタも読むほうも取る方も大人の私たちがタジタジするようにできる。ビックリ仰天である。勝った、負けたと一喜一憂するのだ。

 

外国人に教える教本も読める

 当然できるよなぁーと思いながら、日本語ボランテアで外国人に教えている「みんなの日本語」の教本を使って読ませてみた。字が読めるから当然読める。更にビックリは、本当の会話のように、気持ちを入れ、抑揚をつけて発音することだった。棒読みを予想していた私はビックリしてしまった。

 この位の子どもは記憶力が抜群だから、カルタなどで読み上げる文章なども全部覚えてしまう。「あ」といえば、文章がスラスラ、「や」といえば、文章がスラスラ出て来るのだ。年寄りが年々物忘れをしていくのと全く逆の現象である。羨ましい限りである。

 

小学生だった頃の「はさみ将棋

 小学生低学年だったろうか、近くの叔父さんが病気で寝ている私を見舞ってくれ、手持無沙汰の私の将棋の相手をしてくれたことを思いだす。将棋と言っても、プロ棋士が指すような将棋でなく「はさみ将棋」という単純な遊びだったように思う。小学校の低学年ですらこんな塩梅だったから、「今どきの子ども」はちょっとどころか全く違うのである。

 

子ども同士の付き合い方

 ただ、昔は外で遊んだ。同級生の友達や1年違い、2年違いの子どもを合わせると、すぐに10人位は集まった。「鬼ごっこ」を始め、「縄跳び」、「缶蹴り」、「釘刺し」など遊びには事欠かなかった。柿を取ったり、他の家の柿を取っても、子どもだから大目に見てくれた。上級生は下級生の面倒を見、泣き出す子がいれば慰め、みんなで仲良く遊んだ。こうした中から、人との付き合い方を子どもながらに学んだ。

 あとは、どうやって「心の教育」をするかであろう。


 

楽しみながらの新年準備

トルコ人に日本語を教えたい

 一昨日だったか、妻のお友達の娘さんがトルコから帰国していて、トルコ人に日本語を教えたいと言っているようだった。そこで昨日私に電話がかかってきた。「どんな本で教えているのか」という問いかけだった。一概に言えないが、レベルや性格、日本語をやりたい状況などなど色々あることを伝え、「みんなの日本語」の本を教えた。すると、アマゾンで見てみますという。本の中身までは分からないので、「本を見たらどうですか」「教え方もいろいろありますよ」と伝えると、まず、アマゾンを見てみて分からなければお邪魔します、という。

 

教えてみようという興味

 分からなければ2時半にお邪魔しますというので待っていると、やっぱり、やってきた。「みんなの日本語ⅠとⅡ」と「手引き」を見せ、使い方や教え方を教えてあげた。どうも買ってトルコに持ち帰るようだ。

 聞くとトルコで同じアパートの一階に住む大学生が日本語を勉強したがっているようで、その手助けをしてあげたいと思っているようだった。この本は、横に教えた方が繰り返し教えることになるので、縦より横が良いとか、教案を作って教えた方が良いとか、手引きも事前に読んでとか、我々がやってきたことを伝えた。

 実際のところは、教えてみないと面白みも大変さも分からない。

 

長く続いている日本語ボランテア

 私自身が日本語をボランテアで教え始めたきっかけはひょんなことからだったが、そこからのめり込み始めもう10年になろうとしている。8年前(2014年)に作ったパソコンに入っている教案を引っ張り出した。懐かしい思い出である。

 長く続いているのも、毎回、毎度教えられることが多いこと、その都度、今度はこんなことをやってみようという興味が湧き、奮い立たせるものがあるからだ。教本と言われている本も一杯ある。その都度、外国人に分かってもらえるようコメントを各課に差し込む作業も実に面白い。ネットなどで調べている途中で分からないだろうなということがあれば、その説明資料を作ったり、外国人でも分かるような説明を付け加えたりの楽しみは尽きないのである。

 記憶力もぼろぼろ、行動力もぼろぼろになりかけているが、興味が湧き、楽しいと感じる間は、もう少し続けたいと思っている。

 

神棚にしめ縄を

 お正月に向けてて神棚にあげるしめ縄を1日かけて作った。本来、2,3時間で出来る作業だが、楽しみながら作った。近くの神社のしめ縄もプラスチック製になってしま

しめ縄、御札、榊など、新しくなり新年を迎える準備が整った神棚

た。原因は、古くなり色が変わり見栄えもよくなくなるからで、しめ縄交換をするのも重く、年々年老いてくる氏子の皆さんには重労働になってきたからである。

 地域の集落センターで、子ども達や近隣の住民を集めてしめ縄の作り方の講座などもやったものだったが、最近はやらなくなった。だんだんと伝統が無くなっていく。

 心静かに、新年を迎える準備を楽しみながらするというのも良いものだ。

 

言葉を紡ぐ

忙しければ学ぶことも多い

 今日は月曜日だ。この週末というよりこの一週間は忙しかった。年寄りの一週間なんで、若者のような忙しさではないにしろ、それでもブログを書くのも忘れるほど忙しかったのだ。でも、現役時代から同じであるが、忙しければ忙しいほど教えられることも多い。そしてそれが自分の血肉になっていくのである。

 

”ゴミ出し” の心

 ゴミ出しの日で”燃えるゴミ”を出しに行った。するとどうでしょう! きれいに並べられた「燃えるゴミたち」。一か月前に、網をもらってきて、このように「並べられたら」と破れた網を補修し、バス停の柱に括り付ける紐を通して作ったゴミ置き場。

綺麗に並べられ出された各家庭からの ”燃えるゴミ”

やっと、頭に描いた通りのゴミの置き方になったと感動した。地域の人たちが、毎週木曜、月曜にゴミを出す。ここまで整頓され、カラスがゴミを食い荒らさないように隅々まで網が回され完璧だったのはこの一か月で初めてだった。やっと心が通じた!一瞬。

 

国際交流協会

 先週の金曜日に「あってみっ会」という会が行われた。県の国際交流協会が主催した会である。茨城県の外国人に対する日本語教育の空白地帯(高萩市行方市)に日本語教育をするベースを作ろうとする動きである。11月、12月と5回に分けて講習が行われた。主旨は分かるものの、教える方法は正直首を傾げるところもあった。しかし、外国人に日本で楽しく有意義に生活してもらおうという主旨には同意でる。そういう思いを持った高萩市の3人が集まった。それに国際交流協会関係者、高萩市関係者、総勢12,3人の会だった。

 

やめられない、止まらない日本語指導

 もう日本語を教え始めて10年近くなるだろう。最初は地域の友達に誘われ、軽い気持ちで日立市の日本語ボランテアグループに入った。ボランテア人数に比べ、外国人の数が多いので、多人数を一人で担当する場面もあった。少ない時は1対1や外国人が来ない時もあった。日本語の教え方を日本語教師から教わった。そしてそれを実践するのである。仲間に「外国人に日本語を教えない?」と言うと、必ずと言っていいほど、「私(俺)、英語できないから」と言われたものである。その都度、「日本語で日本語を教えるんで、誰でもできます!」と言ったものだった。

 

何をするにも ”心ひとつ”

 ところがそうではなかった。誰でもできるが、そこには「心」が必要だった。外国人に日本語を知ってもらい、「快適な日本での生活を楽しんでもらいたい」という気持ちである。「生活に密着した日本語」も重要(必要)だろう。しかし、そこには「応用の効く日本語」も重要なのである。現役時代の職場の関係で外国生活が15年にもなった。そこで学んだことは、現地の言葉を覚えることが、一番その国の人と心をつなぐ手段としては最短である。そこには最低限の文法が必要なのだ。そうでないと言葉の輪が広がらないのだ。

 心さえつながれば、生活してゆく上では、今度は言葉の必要性は下がる。そうは言っても表現方法は一杯ある。極端な言い方をすれば、上限はない。

 

言葉を紡ぐ、心を紡ぐ

 昨日は、来年のお正月の飾りつけを買って来た。かっては、自宅で餅つきをして作った ”お供え” と玄関飾りである。

神棚に飾るお供えと玄関飾り

これに神棚に飾るしめ縄を作れば完璧だ。今日は近所の農家へ行ってしめ縄を作る稲わらを一束貰って来よう。

 外国人に言葉を紡ぎ、心を紡ぐと同じように、神様に心を紡ぐのである。

 来年の家族の、そして、世界の平和を願って。

心は言葉より深し

全てが新鮮だった、ベトナム料理

 昨日はベトナム人技能実習生の若者たちとベトナム料理を食べに行った。フィリピン駐在時代、日本人会の現地視察でベトナムを訪問したことがあり、ベトナム料理はその時以来15年ぶりである。当時のメニューも味も、またお酒の味もすっかり忘れていたが、あらためて、飲んだり食べたりしていると全てが新鮮だった。

 

「バァッバァッバァッ」

 誘ってくれたベトナム人の彼女のメニューの選択が良かったのか、ベトナム料理自体がそういうものなのか、誠に日本人の口に合う料理ばかりだった。

          ベトナム料理                 お酒、ビール

ビールの「333」はとくに有名なようで、「3」はベトナム語で「バァッ」と発音するようで、「バァッバァッバァッ」という発音も飲む席ではゴロもよく覚えやすい。

 日本人の仲間内では、割り勘だと思っていたが、ベトナム人5人が、4人の日本人の分も支払ってくれた。「割り勘」を主張したが駄目だった。後で埋め合わせしないと・・・。

 

熱狂のうちに終わったW杯

 W杯が終わった。アルゼンチンの優勝で幕が下りた。夜中で視てはいなかったが、優勝した直後にテレビを点けた。朝の3:30だった。

アルゼンチンがリードし、フランスが追いつく攻防

アルゼンチンの選手たち、サポーターたちの熱狂ぶりが映し出された。なるほど、試合経過が映し出されてみると、2-0から2-1,2-2、そして延長戦。そこでも、アルゼンチンが先行し、フランスが追いつく。3-2,3-3と続いた。これは視ていて面白かったはずだ。そして、PK戦になって、やっと決着がついた。

 

言葉が通じなくても

 サッカーは、スポーツは、言葉が通じなくても心が通じるものである。人種も、国も、老若男女、言葉も関係ないのである。恐らく日本国中の人たち、世界中の人たちが実況なりVTRなりを視たことだろう。

 一方で、心のないロシアの一部の人たちは、何の罪もない国へ攻め入り、何の罪もない人たちを殺害している。異常心理というしかない。

 

最近の保育園事件

 最近、保育園での事件が伝えられている。この話は、「心がある、ない」とはちょっと違うようだ。誰しも、子どもを持った親なら経験することでもある。子供に手を挙げない親もいる一方で、すぐ、手を出す親もいる。遊園地などで、あんな叱り方をしなくてもいいのに、と思うような酷い叱り方をしている親も一杯いる。

 保育士の人たちの叱り方は、本当に ”暴行” なのだろうか、と首をかしげる部分も大いにありだ。子どもを思い、少しきつめに叱る心ある保育士が、「暴行した」と決めつけられるのも気の毒である。

 

子ども躾は親の責任

 親はもっと自分の子どもの躾に気を配るべきではないのかと思う。自分が働かざるを得ないから保育園に預ける。その保育園でどんな保育の仕方をしているかは、人任せ、保育士任せであり、それにも関わらず、保育士が何かすれば、”暴行” だと決めつける。親ですら、言うことを聞かない子どもには手を挙げる親は一杯いるのにだ。ましてや保育士は他人であり、子どもの親ではない。どんな保育園に預けるかは親の責任でもある。保育の仕方をしっかり見極め、親の責任で保育園を選択して欲しいものだ。