ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

痛風の発作

足首に痛み、痛風

 痛風の発作が出た。プリン体の取りすぎで、尿酸値があがり、尿酸が骨の関節に集まり、結晶化して痛むという痛風である。どこの関節でも出るらしいが、特に多いのが、足指の付け根である。

 一昨日の午後、煤払いとして天井の隅々の蜘蛛の巣などを取り除き、そして破れた障子を張り替えている時だった。「ビクッ」とも「ギクッ」ともつかない音が聞こえた感じがした。実際は音はしていないと思う。右足首に痛みが走った。

 

筋を伸ばしたか?

 当初、足首も痛いが曲がるので、筋でもおかしくしたかと思い、足首を回転したり、曲げたりしていた。すると、だんだん痛みが増し、夕方には歩くのにも支障が出てきた。それでも、未だ、痛風とは思わず、捻挫だと信じて疑わなかったが、女房が外出から戻ってきて、「それ、痛風じゃないの?」と言う。病気のプロが言うのだから間違いない。

 シップをして、痛み止めを飲んで寝たが、朝になっても収まらず、かかりつけの医者に行った。痛風という結論だった。薬をもらい、早めに床に就き、今朝は大分良くなったが、それでも、歩くのに支障があるのは全く変わらずである。そんなわけで、数か月無欠勤で続いたブログも、昨日は休ませて頂いた。

 

痛風との付き合い

 痛風とは、長いお付き合いだった。多分35歳位の時だ。家でタンスの一番下の引き出しを屈んで引き出すときに、足の親指に、先ほどの「ビクッ」とも「ギクッ」ともつかない擬音を聞き、激痛が走ったのである。この時は、正に「風が吹いても痛む」痛風発作の記念すべき第一回目だった。1ミリでも足の親指を動かすと激痛が走るのである。近くの整形外科へ行き、ギブスをして約1か月会社へサンダル履きで通ったことを思い出す。

 

高尿酸の始まり

 その数年前に、サウジに1年間出張で出かけた。この1年間の間、洋食屋のコックを現地での工事隊のコックとして雇ったことがあり、毎日、牛肉ベースの食事だったことが原因で、それ以来、尿酸値が高く、会社の毎年の定期健診でも指摘されていたのである。その時以来の高尿酸値との戦いであり、この痛風発作をきっかけに、尿酸の薬を飲み続けた。尿酸値も標準と言われるのが7.0だが、常時8.0を超え、ひどいときには10.0も超えた。つまり40年来のお付き合いである。

 それ以降、海外出張が多かったが、尿酸の薬(毎日1錠飲む)を持ち歩いた。通常薬は5週間分しかくれないが、医師のいない国では、何か月分かの薬を出張時に携帯するのが私の習慣になった。

 

病気の遺伝か、好みの遺伝か?

 親指の痛みは、「風が吹いても・・・」であるが、足首となるとそれほどではないが、それでも歩いたり、立ち上がるのに支障が出る。寝ていて、寝返りを打つときにも痛む。どうも、この高尿酸という体質は、子どもにも影響するようで、二人の子どもとも高尿酸のようだ。二人ともお酒は殆ど飲まないが、尿酸に悪い食べ物が好きなようである。

 

高尿酸に悪い食べ物、飲み物

 私は、人一倍「酒好き」と来ている。全般的にアルコールは高尿酸には良くない。しかも、酒のつまみになるようなものは、殆どが、悪いと来ている。飲み物ではビールが一番ダメで、焼酎は酒類の中でも良い方である。尿酸には、プリン体というものが影響するが、最近では、「プリン体ゼロ」なんていうビールも出ているので紛らわしい。食べ物では、もつ煮が最悪。そして、乾きものの干物の類、更には、ウニ、イクラなどの魚卵もダメだ。となると、つまみになるものは殆どないことになる。

 

のど元過ぎれば熱さを忘れる

 「のど元過ぎれば熱さを忘れる」とは良く言ったもので、痛いときには、「よし!・・・」などと決心はするものの、1か月もすれば、「この位は良いだろう」などと妥協案を見つけ出し、飲んベイに変身するのである。

 ここの所、忘年会続きだった。今までの40年にわたる経験から、忘年会で酒を飲んでもいい、でも、自分で、これ以上はダメだなーと思った時に止められれば、発作は起こらない。この前の忘年会もそうだった。これ以上飲んだらダメだなー、と分かっても止められない。そこが飲んベイの困ったところだ。

 ずっと、水を1日2リットル飲めと医者に言われていたが、少し、その気持ちが緩んだ。その緩みにすかさず攻め込んでくるのが痛風。酒を止めることは出来ないのだから、毎日、少しづつ上手に酒と付き合うようにすればいいのだが・・・。

 人ごとのように、「それは保証の限りではない」。でも、それが生きている証拠だ、と言い訳。