海外での住居
海外へ出張や赴任して、まず考えるのが住居である。どこの国でもそうだったが、住居のグレード、住むエリアというのがある。一番高級な場所は、商社マンが住むエリアである。給与が多いのか、会社の住居にかける予算が多いのか、よく分からないが、ともかくどこの国へ行っても、一番いいところに商社マンが住んでいる。我々メーカーの人間は、家族帯同であろうが何であろうが、その次のグレードに住むことになるのだ。
マニラでも同様だった。従って、住居を探すにあたって、商社マンに聞いたところで良く分からない。そこで、メーカーの人間に聞くことになる。他のメーカーの人間がどこに住んでいるか聞いて、その近辺を探すことになる。
住居選定の条件
一番の条件は、安全であること。次に値段、予算に合うこと。そして三番目が、自分の好み(地域、部屋の間取り・広さ、設備など等)となる。特にフィリピンのような危険と言われている国では、エリア的に安全であることが最重要課題になる。
まずは、繁華街(特に、水商売がたくさんある地域)は避ける。また、一軒家は避けて高層マンションにし、セキュリティがきちんとしていること、などである。他にも色々あるが、それは長い間に培ったノウハウが効いてくる。
海外の貸家・貸し部屋
部屋の条件で大きく日本と違うのは、家具付きと家具なしがあることである。日本では電気製品はもとより、応接セットなども全て自分のモノを持ち歩くが、海外では、家具付きを選択すると、それらのモノは全て揃っている。身一つでいけば、食料さえあれば、明日から生活ができるようになっているのである。その点非常に便利だ。
もう一つ重要な点がある。メイドを雇うかどうかだ。メイドを雇うとなると、メイドルームが必要になる。普通は、メイドは田舎から出てくるので、住居も確保してあげる必要がある。
駐在員の常識
フィリピン駐在中の5年半で住居が2か所になった。最初の1年がマニラ市内、後の4年半は、アラバン地域(マニラ中心部から車で20分位南)であった。元々マニラ市内は1年のつもりだった。住んだ理由は、日本からの訪問客の接待場所を知っておくためだった。従って、レストラン・カラオケなどマニラ市内の遊興場所は殆ど調べ尽くした。金額・レベル(格)も調べた。誰が来たら、ここ、誰誰ならここにしようと、すぐにアイデアが沸くようにしたのである。
フィリピンでの最初の住居
最初のコンドミ(住居=マンションをこう呼ぶ)は、寝室(8畳位か)、リビング・キッチン(10畳以上あったと思う)にシャワールーム(縦2畳位)、メイドルーム(縦2畳位)だった。1階には、ガードマンが常駐しており、部屋のブザーを直接押す来客はいない。ただ、ビックリしたのは、キッチンのガス。プロパンガスで、流しの下に収納されている。何かあれば、爆発必須である。29階だった(最上階が30階)。ともかく大きな部屋だった。
二番目の住居
そして二つ目は、ホテルの一室だが、このホテルは、賃貸しマンションとホテルの貸室が同居しているホテルである。その10階だった。賃貸しマンション(コンドミ)で、オーナーは若い女性だった。部屋は、ワンルームマンションのような広さで、リビングキッチン(縦8畳位)と寝室(4畳半位)にシャワールーム(縦3畳位)といった組み合わせ。非常に使い勝手の良い住居だった。最初と二番目の大きな違いは、全体的に部屋が小さいのと、バスタブがあることだった。
環境条件
周りの環境は、一つ目は住宅地であちこちにマンション(コンドミ)が立ち並ぶエリアであるため、歩いてはどこへも行けず、休みの日も車を呼ばないと買い物にも行けない有様だった。こうした欠点を解消したのが二つ目で、歩いていける距離に商店街があり、何でも揃っていた。従って、車も頼む必要がなくなり、歩いて行けて、レストランも床屋も一通りのモノは何でも揃った。ホテルなので、必ず、受付やガードマンを通さないと、部屋に来れない仕組みになっていた。
洗濯・調理
最初のコンドミは、洗濯機があったので、自分で洗濯し、アイロンがけもしたが、二つ目は洗濯機を置くところもなかったので、近くの洗濯屋に下着も含め全て出した。それでも物価の安いフィリピンである。経済的に云々するほどの金額でもなく、下着がきれいに折りたたんで戻ってくるのにはビックリだった。それと、料理が趣味のようになり、熱量の少ない電気コンロしかなかったので、携帯カセットを置き、流しは大きなものに交換してもらって、朝晩の調理に支障のないようにした。
(つづく、・・・)