ミドさんのブログ

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フィリピンの魅力(26.忖度するプレゼント)

 クリスマスが近づき、年末の行事も始まりつつある。年寄は孫に、若者は恋人に、クリスマスプレゼントの季節が近づきつつある。今日はクリスマスプレゼントの話題。

 

クリスマスプレゼント

 フィリピンでは、カトリック教徒が多いので、年末年始を祝うより、圧倒的にクリマスを祝う方が多い。そこでプ、日頃お世話になっている人へのプレゼントである。日本なら、チョコレートや花などちょっとしたものを送るものだが、フィリピンでのプレゼントにはビックリしたものである。私は、11月に赴任し、1か月もしないうちに最初のクリスマスがやってきた。

 

ドライバーへのプレゼント

 5年半の駐在期間中、二人のドライバーにお世話になった。1対1の付き合いは、ドライバーだけである。私が行くところどこへでも一緒なので、公私共々お世話になっているし、フィリピンで、私が何を買い、どこへ行ったか、知っている唯一の生き証人でもある。つまり、ドライバーへのプレゼントは、現地にいる日本人は必須なのである。経験もないし、分らないので、それまでフィリピンにいた日本人に聞いてみてビックリである。

 何と、電気製品を贈るというのである。それが、日本人の習わしだった。恐らく、最初の人がそうしたので、それに倣ったのだと思われる。それから、5年半の間、5回あった。いずれも電気製品にした。

 

物乞いの真似なんかできない

 そして、その度に、「クリマスが来るが、何が良い?」と聞くのである。例えば、洗濯機を贈ったら、洗濯機は買ったばかりだった、というようなことを避ける意味で聞いているのだが、一度も答えをもらったことはない。絶対に!「・・・が欲しい」とは言わないのである。毎日冗談を言い合い、家にも出入りして、気心が知れていると思っていたドライバーでさえ、こうなのである。それは、フィリピン人の自尊心の高い国民性から来ているのだ。「物乞いの真似なんかできない」という気持ちである。

 

物乞いが居なくなった日本

 日本のように恵まれ、「物乞い」なんて存在しない世の中になった。そういった国では「物乞いのような真似は出来ない」とは考えないものである。しかし、フィリピンには、「物乞い」はまだいるからそう考えるのである。フィリピン人の自尊心の強さは、こうした貧困が原因であり、日本のような自尊心とは少し意味合いが異なる。

 

「もらう」嬉しさ

 こうして、毎年、洗濯機やら掃除機やらをクリスマスプレゼントとして贈ったものである。日本でも同じように、お金云々ではなく、もらえば嬉しいのだ。私の女房は、毎日のようにお友達から野菜をもらったと言っては喜んでいる。私が畑をやっている時に、たくさん穫れて、大根、小松菜、ネギなどを持ってきても、有難迷惑のような顔をしていたのに、同じ野菜を人からもらうと嬉しそうな表情を浮かべるのである。他人にもらうものは宝石に見えるらしい。

 ドライバーも同じだ。私のドライバーが、誰それさんのドライバーをしていた時に、・・・をもらった、あの人の時は、・・・だったと嬉しそうに話す姿を今でも思い出す。やはり、もらい物は嬉しいようである。

 

国民性の理解の重要さ

 フィリピン人の異常なほどの自尊心の高さは、経験したものでなければ分からない。自尊心のために、意地の張り合いになり、殺人事件まで起こる国である。自分の身を守る上でも、その土地に住む人たちを知って、考え、行動することが求められる。

 日本では、「忖度」などという便利なことばが使われるが、特に海外で生活する上で、その国の人の気持ちを忖度するのが一番重要である。

    (つづく、・・・)