ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

年輪

子どもの頃の思い出

 家の庭に、子どもの頃の思い出の大きな木が2本ある。いずれも、記憶にあるということは小学生の頃だろう。1本は、山に遊びに行った時に取ってきた楓(かえで)の木であり、もう1本は昔から家にあった柿の木である。柿の木は、誰が作ってくれたか忘れたが、枝に荒縄でブランコを作ってもらって、それで遊んだ記憶だ。

 

涙を呑んで、木を切る

 楓の木は、子どもの頃で背丈位だったから1mもなかった位の小さい木が、今や、秋になると一面を紅葉で埋め尽くすまでの大きさになった。どんどん大きくなる木を見て、いずれ始末に負えなくなると思い、枝を機会あるごとに切っていたが、芯を切らないとダメと思い、先月思い切って切った。

 そして、柿の木である。妻が、大きくなり過ぎて、枯葉が雨どいに入り水の流れを止めるとクレームを毎年言っていた因縁の木である。この木は昔から家にある木だし、ブランコの思い出もある木なので、手に付けずにいたが、先月の地蔵堂の伐採で使ったチェーンソーも使ってやってみようという気になり、枝落としから始めた。

 

遅々と進まぬ伐採作業

 その枝落としにも、長い梯子をかけ、長枝切ばさみをのこぎりに変えて切るのだが、遅々として進まない。長い梯子をかけても高所恐怖症の私は、てっぺん迄容易に登れないのだ。毎日、2本、3本と切るのだから時間がかかる。その間にチェーンソーの目立てをしてもらおうと、隣町の職人の下に出かけた。近所の人の紹介で、1000円で目立てをしてくれるというので、チェーンの新品を買うより安上がり、と出かけたのである。

 チェーンソーは、買って、すぐに扱い方を勉強するため開梱して始めたが、さっぱり分からなくなり、そのままお蔵入りしていたもので、先日の地蔵堂の伐採作業に初めて使ってみたが、切れ味が悪く、何が理由か分からないままだったものである。

 

目立てを職人に依頼

 この話をその職人に話した。すると、

 「チェーンソーの歯も毎日変わるんです」「歯がダメなのか、それとも回転力が上が  らないのか、分かりません」「もし、回転力不足だったら、このチェーンソーは、古い型なので、部品もないので、新しいものを買うしかありません」

 とこともなげに言うではないか。10年位前とは言え、買って、10本位しか切っていない機械である。でも仕方がない。目立てだけお願いして帰宅した。目立てが終わったと連絡がきた。試し切りする木があるなら、持って来いというので、先日切れないこの機械を使って、木の芯を切った切れ端を持って出かけた。

 

目立てが終わったチェーンソー

 その切れ端を見た職人は、「これは重いですね。乾燥したら、切れなくなってしまうかもしれませんよ」などとと言う。そして、「切ってみてください」と言うではないか。チェーンソーの先生の前で、チェーンソーの扱い方のテストをされているようで緊張したが、それでも切ってみた。「すごい!」の一言である。今までの切れ味の5倍は切れる感じがした。

 そのあと、扱い方の指導受けた。エンジンのかけ方、持ち方、歯の当て方、そして目立てのやり方、頻度など等である。1000円でこれだけの指導を受けるのは悪い気もしたが、心で感謝しながら甘んじて受けた。

 

柿の木には年輪が無いって?

 すると、今度は、木の話になった。「柿の木を切ってるって、渋柿?」「甘柿です」「渋柿なら切れ端でも高く売れるのになー」と言う。「柿の木には年輪がないんだよね」と言うではないか。この歳になるまで年輪の無い木なんてある訳がないと思っていたが、帰って、ネットで調べてみると、寒暖差がない国に育つ木には年輪がないんだそうだ。理屈から考えれば分かることだが、柿の木は日本で育っているじゃないか、なぜだ?とネットで調べるが、年輪の無い木の種類が書かれていないのでよく分からない。

 

これからが楽しみ

 ともかく、これから柿の木を切るので、太いところを切ったら切り口をよく見てみようと思った。細いところの切り口を見てみたが、確かに、年輪らしいものが綺麗に見えない。はっきり見えないだけじゃないかと思えるが、太いところを切る楽しみが増えた。

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柿の木と小口(左)、楓の木と切った頂上部(蛙の足のよう)(右)

 北島三郎の「年輪」の歌を思い出す。

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年輪(唄:北島三郎