大関、正代
大相撲の大関、正代、を取り上げて番組を作っていた。熊本農業高校ー東京農大出身だそうだ。番組では、正代関の性格と地域が中心の話題だった。
子どもの頃から同年代の子どもたちと比べ、頭一つ大きかった正代少年は、子ども相撲クラブの監督に誘われ、相撲との係わりがスタートした。そして、正代少年は、気持ちがやさしく、気の弱い少年だったという。
気の弱い少年が作った、立ち合いの型
相撲の立ち合いで、胸を突き出して相手の当たりを受け止める独特の立ち合いの型はこの時からだという。相手に対し、頭からぶつかっていくのが普通の立ち合いの型であるが、これが、怖くて出来なかったという。
大相撲に入った今でも同じだという。大関昇進のかかる取り組みで「次は誰と当たりたいですか」と聞かれ、「誰とも当たりたくありません」と答えたそうだ。この頃からネガテブな力士と言われた。今でも気の弱さは健在である。そして、同時に、人に対する優しさも健在なのである。
正代は、熊本県宇土市出身で、平成28年に起きた熊本地震では、実家や地域が被災を受けた。そこで、正代は、熊本の現地を訪れ、被災者を励ましたのである。地域の皆さんは、地域の英雄であり大相撲の力士である正代を大歓迎で迎えた。色々な人たちから励ましを受けた。
同時に、正代も現地の皆さんに励ましを上げた。今まで、ネガテブな力士として知られた正代だったが、これをきっかけに意識が変わった。そして、前頭でうろうろしていた正代だったが、大関昇進を果たしたのだ。
脚の病気も直した正代の活躍
これをきっかけに、自分の存在が現地を励ますことを知り、また、現地の皆さんから励ましをもらうことを知り、好循環が回り始めたのである。
現地に、病気で足の感覚がなくなった老人がいた。正代が現地を訪れ、会って励ましをもらったことで、元気になり、今では自転車にも乗れるようになった。
ネガテブな性格が変わった
宇土市では、地域住民が発起人となり、熊本地震が起きた以降の大相撲で、正代関が勝つと花火を挙げてきた。この老人の楽しみは、自転車でその花火が揚がる場所の近くへ自転車で行き、この花火を見るのが楽しみになっているという。
かって少年時代過ごした相撲クラブなど、そこで練習する少年たちに与える影響も大きなものである。故郷を愛し、その人たちを愛する正代の優しさは、地域の人たちを虜にしている。
故郷が育て、故郷に力を与えた英雄
正に、故郷が育て、故郷に力を与え、力を与えられた力士でもある。故郷と一人の人間の活躍が、好循環を生み出しているのである。
我々も、地域の活動をボランテア同然でやってきているが、なかなか、こうした好循環にはつながらないものである。
かって、少年正代が所属したクラブの後輩たちが、先生から言われ続けた言葉だと言う。
「土俵は円、人生は縁」。