ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

どうでもいいこと

市長説明会

 昨日、我々の地域で市長による説明会があった。理由は、農村集落センターという集会所として使っている施設を新しくしたいという地域の希望に対し、市長の考え方を聞くという説明会である。この施設は、昭和62年3月に出来た施設。

 当時は、こういった施設を作る場合、住民の寄付と市や県や国などのお金を使い建てるのが普通だった。今から36年前の話である。

 

寄付で建った農村集落センター

 そういうことが出来る社会環境だったとも言えるのである。地域・地方にはその土地の名士と言われている人がまだ残っており、”寄付” と言う行為そのものが、名士と言われる存在を表すステータスのようなところがあり、「誰々さんが、・・万円寄付したんだそうだ、大したもんだねェー」などと住民の口の端にものったものである。それだけ住民同士の会話も頻繁にあった時代でもあった。

 

建設記念碑と寄付

 下の写真は建設記念碑である。建設活動に尽力した人たち、寄付した人たちは、その証を作ることを好んだ。そして、その恩恵を受ける方々は、その行為を称えたものである。

   建設記念碑       東日本大震災の爪痕も残す、集落センターの建物      

そして時代が昭和から令和に変わった。

 

少なくなった住民の会話

 住民同士の会話が少なくなった。子供の数も少なくなった。集会所などという住民皆が集まる機会も少なくなった。かっては、集会所を使って、趣味の集まりなども週に何回も行なわれたりしたが、最近では、地域行事の集まりにしか利用されなくなった。

 町内会を中心としたその地域行事にも、住民が参加しなくなっていった。そして、町内会に入る人も少なくなったのである。こうなってくると、建設活動に奔走する人も少なくなれば、寄付をする人もいなくなり、こうした施設は市町村の自治体が作るものと住民の意識が変わってきたのである。

 

住民のための施設

 そして、昨日行なわれた市長説明会である。ポイントは、住民の寄付などによらない、100%自治体費用でまかなわれる建設だった。どうやって費用を捻出するかに市長の話は力点が置かれた。我々の地域内にゴミ処理施設が出来、この4月稼働を開始する。こういう施設なら、市民全てに還元出来る施設だから費用の点では正々堂々と市のお金を使える。しかし、集会所となると、一地域の住民にだけ還元できる話であり、市長といえども、右から左に予算を付ける話にはならないのである。

 

「必要」が「どうでもいいこと」に

 説明会中に、隣にいた若い人(30代後半)に聞いてみた。「集会所を新しくした方がいいと思う?」。数年前まで子供会でこの集会所を使っていた若者である。今ではその子供会も子どもが少なくなったことで解散してしまった。すると、新しくする、しないに余り興味がなさそうな返事が戻ってきた。

 なるほど、私たちは、地域役員として住民を集めると言う観点から必要に迫られているが、常時使わない人たちにとってはどうでも良いことのようである。つまり立場が変われば、「必要」が「どうでもいいこと」に変わると言うことなのである。

 

 この原因が、住民同士の会話が少なくなったことに起因していることは明白である。