今日の夜は、侍ジャパンの登場である。”二刀流・大谷”、”村神様”がどんな活躍を見せるか、楽しみである。
思い出す、東日本大震災
ここのところ、新聞記事でシリーズ化しているのは、東日本大震災のその後の様子をレポートする記事が目立つ。2011年3月11日14時46分、この数字は今でも忘れない。
我が家でも甚大な被害があった。1年に一回震災を思い出す意味でも振り返るのは悪くない。父親が健在の頃、よく「関東大震災」の話をしていたものだ。当時は、写真なども一般化されていなかったので、言い伝えだけだったからその緊張感に欠けるが、今はビデオも写真も携帯で撮れるから記録という点では何の問題もない。
問題なのは、保存性である。どうやって整理・保存しておくかである。
大震災の被害状況
いくつか紹介したい。
外回りでは、屋根のあちこちが崩れ、なんと言っても門が崩れ落ちたことだろう。今の家は私が住むようになり大改造した家だが、私が子ども頃からあった ”四脚門” と言われる武家屋敷などにあるあの門が完全に崩壊したのである。そして、家の大改装時に作った塀のあちこちに亀裂が入った。
左側の道路上に入った亀裂は、私の家は勿論、向こう三軒両隣の5,6軒先まで同じ場所に亀裂が入った。恐らく、この場所に断層が走っているのだろう。そして、その歪みが家のあちこちに亀裂となって現れている。どの部屋もモノが散乱した。
海外から土産品として買ってきた、グラス・陶器などは、無事のものもあったが、壊れたものも多数あった。建物などは修理すれば元に戻るが、海外の土産物は思い出と共にあるので、壊れれば思い出も共に失うのが大きい。
写真やビデオで伝える震災
こんな被害があった我が家であるが、起きたのが2011年3月。定年間際に赴任したフィリピンは、2009年5月までいたことで、帰国してから2年弱で起きた東日本大震災。何かの因縁さえも感じる。帰国して、誰もがやる野菜作りを始めたら、その畑にも亀裂が入った。写真を探したが、確かに撮ったはずだが見当たらない。その時は「記録に」と思って撮ったものも整理が悪くては焼く立たない。
たまには、震災を思い出すのもいい
この震災を機に、我々の地域では「自主防災会」を立ち上げ、地域をリードするためと思い、防災士にもなった。そして、子ども達、地域の人たちの教育のためとの思いから、パワーポイントで資料も作った。
地域の避難訓練も何度も実施した。
そして、12年目が今年である。たまには、思い出すのもいい!!
いつ、こうした写真や資料が役に立つのか。