東日本大震災、12年目
昨日は、東日本大震災の12年目の日である。
色々なところで黙祷が捧げられた。5、6年前位までは地域でも防災訓練などがなされてきたが、最近はコロナの影響もあって、そうした行事もなされていない。
12年前を紐解くのも悪くない
そこで、その昔、当時作った資料などを紐解いてみた。自分で作った地域の人たちへの教育資料、地域の子どもために作った他人の資料、そして地域の防災訓練をビデオ作りの専門の人に頼んで作ったビデオ資料などが出てきた。
5年前のビデオを1時間かけて見てみた。避難ばかりではなく、避難先で消防団員による消火器のの扱い方訓練の様子、人工呼吸の訓練など、ビデオを見るだけでも参考になることが多かった。そして更に面白かったのは、今は亡き近所のおばさん、おじさんが登場していることである。また、当時小学校の3年生だって、今や中学校2年生。高校生はもう会社員になっている。5年とは、60歳過ぎた高齢者にはたった5年ではあまり変わらないかもしれないが、子どもたちには大きな違いがあるのだ。
若者文化
さて、最近、イライラすることがある。若い人との連絡方法である。人によって連絡手段が違うのである。携帯の画面を載せたが、ブログなどをやっていると知らない人から突然連絡が入ったりする。かと思えば、ラインで連絡が付くはずと思っていた人が、いくら送信しても「既読」にもならなければ、当然返事ももらえない。「なんで?」と思い尋ねると、「ラインは見ていない」という。「えっ! 若い人は皆、見ているんじゃないの?」
期待しない返事
果ては、SMSなどでメールしても返事が来ない、なんてことはザラ。そんなことから最近は連絡しても返事は期待しないことにした。期待していたら神経がイライラしてしまい体調まで悪くなるからである。
いろんな連絡方法があるので、その使い方はもちろん、使っている媒体まで知らなきゃーならないなんて!!!と、困った世の中になったものである。
オコガマシイ携帯文化
若い者の向こうを張って、最近の携帯に慣れようなんてオコガマシイ。高齢者は高齢者らしく、パソコンメールなどで連絡を取ればいいのだ。画面も大きいし、文字も大きく見えるし、打つボタンも大きく打ちやすいのだ。そして、メールでなければ電話で連絡すればいい。
4,5日前は4,5個の花が咲いたばかりだった我が家の紅梅も、今日は満開になった。そろそろ桜も咲き始める。時期が来れば、多少の差があっても花は咲く。
「携帯」という文明の利器が出来、それを所有したからと言って、「携帯の文化」まで所有したわけではない。未だに、心は、「モシモシ電話の文化」なのである。