ミドさんのブログ

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覚えた日本語で話す

覚えた日本語で話す

 外国人に日本語を教えるボランテアをしていることは何度もこのブログで述べた。その外国人とは、日本人と結婚した主婦だったり、親と共に日本に移住した小学生や中学生だったり、日本で働いている人だったりまちまちであるが、勿論、技能実習生も含まれる。

 このボランテアを始めた頃、10年ほど前だが、その頃は、教える人の質や才能で、外国人の日本語力の進歩には違いが出ると思っていた。

 

周りの人が教える日本語

 よくよく考えて見れば当たり前のことで、本人の好みと好まざるに係わらず、周りの人と接するのである。特に、同僚。そして家族。そして、近所の人やよく話をする人などである。日本にやってきた外国人の子ども。家族はもちろんのこと、学校などや遊び

「日立さくら日本語学校」に近い ”かみね公園” で、ポーズをとる技能実習

相手など、お付き合いが多ければ多いほど、子ども達の日本語能力の発達はめざましいことでも分かる。

 その相手が、汚い日本語や乱暴な日本語、悪い日本語などを話せば、その人たちと話す外国人もそうなってゆく。それも、教えられなければ、知らずにそうなってゆくのだ。外国で、その国の言葉で悪い言葉を教えられ、連呼したら、みんなに笑われた経験は、誰しもあるだろう。

 

”舌” の俗称

 孫2人が今年小学校に入った。段々、変な日本語に興味を持って行く。先日も、若いお嬢さんが ”べろ” ”べろ”と連呼していた。語感ももさることながら、綺麗な美しい女性が、、、と思ってしまう。小さい頃、母親から ”べろ” と言ってはいけません、と良く注意されたものである。それ以来、”べろ”は、悪い言葉、汚い言葉と認識し、今でも、自分ではなかなか使えない。しかし、これは、決して悪い言葉でも汚い言葉でもない。辞書を引くと、「舌の俗称」と載っている。

 

表現豊かな日本語

 「舌を巻く」「舌が肥える」「舌の根の乾かぬうちに」など、「舌」を使った言葉は存在するが、「べろ」に置き換えた言葉や「べろ」を使った、こうした言葉は存在しない。そういう意味でも、また、豊かな日本語を話す意味でも、「俗称」や「はやり言葉」、「”ら” 抜き言葉」などは出来るだけ避け、俗称ではなく正式な言葉を使って欲しいものだ。

 

ひらがな・カタカナ・漢字

 日本語には、「ひらがな」があり「カタカナ」も「漢字」もある。一つの言語で表現の仕方が、これほどあるのも珍しいと同時に難しくしているのも事実だ。しかし、「うつくしい」と「ウツクシイ」そして「美しい」の表現では、日本人なら感覚的に違いが少しずつあるのが分かるはずだ。それだけ、感情が細やかなのだ。

 

大事にしたい ”ことば”

 日本人の感覚が、言葉を操る短歌や俳句にあるように、「ことば」で鋭く、奥深く、感情豊かになってきたと言っても過言ではない気がしている。これから新学期を迎え、子ども達が成長してゆく。また、日本語を話す、操る外国人も増える。自分が良いと思える日本語を外国人にも是非勧めたい。