ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

今後が楽しみ!

貧困な田舎暮らし

 この歳になって、どうして会社員という人生を歩むことになったのかと考える時がある。「会社員=サラリーマン」という言葉に憧れさえ持っていた時代である。地方は貧困だった、といっても、貧しくて毎日の食べ物にも・・・という時代ではなかった。いわゆる、”贅沢(ぜいたく)” は出来ない時代だった。

 我が家は、小さな小売店をやっていたので、毎朝6時半頃には店のシャッターを開け、通勤客の来店を狙った。朝は、タバコなどの小物が中心だった。

 

東京への憧れ

 そうした通勤する大人たちを毎日見て育った。周りは農家の家庭と会社員の家庭が半々位の地域だったが、親が農家(又は半農)で若者は会社員という家庭が多かった。私も通学の為に朝は慌ただしかったが、それでも付けっぱなしのテレビから流れる朝のニュースを聞きながら朝食を食べた。毎朝必ずと言っていいほど東京駅からはじき出される多くの会社員の通勤姿が流れた。この姿に憧れたものである。

     ラッシュアワー時の駅の様子      東京駅からはじき出る会社員通勤姿

親の苦労と思い

 小さな小売店だったため、毎朝早く店を開け、夜遅くまで店を開けて売上増を図った。そのため、労働時間は毎日12時間以上だった事を覚えている。勿論、店の定休日は、毎月20日の一回のみ。勿論、土・日は、かき入れ時である。

 親父が言っていた。「サラリーマンは、毎週休めて良い。そして定年後は恩給(今は年金)が貰えて、悠々と生活できる。おまえも会社員になった方が良い」と機会がある度にいわれたモノである。

 

母は生活、父は趣味三昧 

 そういう親父は真面目でなかった。殆ど店の仕事は母親任せで、自分は趣味などに遊び呆けていた。小鳥を飼っては小さな小鳥小屋を作ったり、庭にぶどう棚を作りブドウを育ててみたり、ミツバチを飼っては全国を養蜂家ばりに蜂箱をトラックで持ち歩いてみたり、最後は囲碁に凝った。その間、母親は小売店に没頭の毎日だった。

 どこの子供でも一緒だと思うが、学費などはどうやって工面していたのか分らない。学校で「・・・のお金」といえば、親はお金を出してくれた。今考えて見れば、大学受験費用、入学金、下宿・生活代などなど、どう工面してくれていたのか、今となっては知るよしもない。自分もそうだが、親は子供にお金の心配はさせたくないという気持ちがあるモノ。

 

違う!!、会社生活

 そうして会社員になった。当初家の近くの工場勤務だったが、まもなく東京勤務になった。憧れの東京駅乗車・下車生活。東京駅で一番ビックリしたのが、都会の人の歩くスピードだった。田舎でのんびり歩くのとは訳が違う。そして、聞きしに勝るラッシュ。会社の仕事では、毎日のんびり何てもんじゃない。次々と任される仕事、納期が迫る、毎日残業に明け暮れる。そして、国内出張、海外出張が始まった。

懐かしい、各国のエアーライン機体

 国内・海外問わず、色々な思い出がある。飛行機や空港等での思い出、その土地々での住民との思い出。

 

悠々自適? 今後が楽しみ

 そして、定年になった。父親が言った「年金で悠々と暮らせる」が実現した。年金とは、思い切ったことも出来ぬが、地味に生活してゆく分には確かに「悠々と暮らせる」のである。

 しかし、人間・欲張りである。潤いや満足感を味わいたい。

 これから、どんな人生に潤いを感じ、満足感を得ることだろうか。

        楽しみでもある。