ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

連弾

記事を書く

 なかなか記事が書けない。”記事を書く“という作業は、易しいようで難しく、難しいようで易しいことでもある。他人にその文章を好んで貰えるかどうかは別問題である。どんなところが難しいかと言えば、まずネタが必要。何を書くか、である。何でもネタになりそうだが、1200字程度の文章になるとそれなりのネタでないと文章が続かない。次に何を訴え,何を主張するかという点である。こんなことを考えながら毎回このブログを書いている。誰が見るかも分らない。自分の備忘録になればいい,というつもりで書いている。

 

連弾

 先週の土曜日だったか、いつもの”テレビ寺子屋”。話題は「連弾」だった。

作曲家の息子さんと”連弾”演奏をする樹原涼子

ちなみに、私は、音楽と絵画など芸術は全く分らない。音楽と言えば演歌を歌うことだけ。絵画には全く縁も無いし、分ろうとも努力しないで来た。ただ、“連弾”という言葉と二人でするという演奏方法だけは知っていた。

 

連弾とは

 その連弾で気付いたことから、今回の講師、樹原涼子氏は話し始めた。有名な音楽家だそうだが、恥ずかしながら名前すら知らなかった。

 ピアノを教えている子どもと先生である樹原氏が連弾をすることになった。すると、この子どもと演奏が全く合わないのだそうだ。理由が分った。この子は、樹原氏が演奏するピアノとは関係なく自分でドンドン演奏してしまうのだそうだ。つまり、連弾相手の樹原氏の演奏を全く聴いていないことに気付いたのだそうだ。

 

他人との社会

 その後、この子には相手の演奏を聴く、心を一つにして一つの音楽を二人で奏でるということを教えたそうだ。こうした心遣いというか気構えは、どんな職業でも一致する。自分の気持ちや気分だけを満足させれば良いモノではない。人間社会にいる限りこれは永遠の課題でもある。山奥で、誰とも接触せず一人で住むなら別だ。しかし、毎朝夕、顔を合わせ,会話し生活してゆくわけだから、自ずと他人と関係が出来、相手の気持ちや都合にも配慮する必要が出てくる。

 

”こころ”一つに

 その後、作曲家でもある息子さんとの連弾演奏が始まった。完全な音楽オンチの私は、最初一人で演奏しているモノだと思ったが、手元を写したテレビ画面では、二人でまさしく演奏しているのだ。一人での演奏にしか聞こえないから完全に手の動きが一緒なのだろう。こうでないと多分 ”連弾” とは言わないのだろう。

 

 サァー、今日は、技能実習生相手の日本語指導である。教える方、教えられる方などというのは関係ない。相手に日本語を理解して頂くのだ。そのためには、心を一つにして、楽しい勉強をしよう。