ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

サービス残業、残業規制

 1週間ほど前に、いつも行っているかかりつけのクリニック。『身体に何か異常ありませんか』「いえ、特に」『暖かくなってきましたから、運動もして下さいね』「ハイ、分りました」「なんて言って、やらないからダメなんですよね」という会話。

 そんな思いもあって、”やらなきゃー”と、暫くぶりに隣町(一駅間)まで歩いてみた。気付いた時に写真も撮った。 

   「畳店」の文字           自治体が管理する道路脇のベンチ

 途中に、昔の街道筋に宿場町があった地域を通る。小さな地域だが、畳店が2軒もある。私が子どもの頃(50、60年前)には、畳店が繁盛した。しかし今では、畳の部屋がない家屋も多い。夏、畳の上に寝転んだ時の爽快感は格別だ。そして、道路脇の小さな空き地がある。新しい国道を作った時、道路脇に余った土地ができたので、そこを公園にとでも思ったのか、ベンチが草むらの中に3,4つ隠れている。

 そして、更に暫く行くと、江戸(東京)から160㌔の道標。そして川には白鳥の群れ。冬の風物詩でもある。そんな懐かしい思いがした1時間弱の歩きだった。その後、飲みながらのカラオケで気持ち良く酔え、飲んで歌えた。

 今朝の新聞。「H3ロケット打ち上げ成功」の記事。

H3ロケット打ち上げ成功の新聞記事

 そこには、苦労したプロジェクトマネージャーの写真も添えられていた。ロケット屋の35年と比べるのはいささかオコガマシイが、かっては自分も「プロマネ」と称した仕事を世界中を駆け巡ってしていた。今、その経験が年老いても良い思い出、良い経験、自信に繋がっている。羽田や成田から、まず一人で赴任地へ飛び立っていく。そしてお客の所への挨拶を済ませ、海外で仕事準備を始め、段取りができたところで会社の作業者を呼び寄せる。その後、工事(プロジェクト)を終わらせ、作業者を日本に帰し、仕事仕舞いをして帰国するのである。

 プロマネになると、残業などという言葉は死語に近い。必要な仕事は、残業になろうがなるまいがせねばならない。プロマネにならなくても、会社(工場)においても、かっては残業100時間、150時間は当たり前の時代だった。毎日帰宅は夜中の11時。毎日が4時間、5時間の残業だったから、週30時間、そして土曜か日曜かは休日出勤だったから、8時間が4回。合算すると、150時間程度にはなるのである。

「貪欲な仕事、残業規制」の文字

 そんなことを考えていたら、上記のような記事を見つけた。残業時間は45時間云々と書かれている。そして、「貪欲な仕事」と書かれていて、意味は、「労働時間が不規則でかつ長く、代わりに高額な対価を得られるような仕事」と書かれている。全部がそうだったとは言わないが、我々は対価が目的で仕事をしたことは一度もない。自分で考え、”お客に迷惑がかかる” とか "もう少し良いモノを作り上げたい" とか、"お客に喜んで貰いたい" といった目的で時間を惜しまず仕事をしてきたのである。

 そういう事から、当時は、サービス残業という言葉も生まれ、企業や労働法の関連から残業が規制され、それでも仕事をしたいといった人たちの集まりだったから、対価がなくてもボランテアのようなつもりで仕事をしたモノである。