ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㉞

どこまでも楽天的なキャディ

 ゴルフと言えば、必ずする鉄板話題がある。何事にも「はなし」は付き物だ。女性絡みとなれば、尚更である。冒頭、キャデーは選べると書いた。キャデイといっても、日本のキャデイを想像してはいけない。日本のように、何でも分かっていて、気のきくキャデイはフィリピンにはいない。勿論、全くゼロというわけではないが、ピンからキリまでいる。フィリピン人は、目が素晴らしく良い。視力2・0なんていうのはザラ。でも、残念ながら10人中ボールの行方をキチンと見られるのは半分。更に、距離を読めるキャデイとなったら、3人いるかいないかであり、更に、グリーン上で、ボールのコースが読めるキャデイとなったら、1人いるかいないかで、ゴルフ場でも、2、3人しかいない。これは、勉強するか、しないか、覚えようとするか、しないかの熱意の差と、根っからの楽天的で、”ゴルフなんてただの遊びさ” ”ただ、お客に付き合っていればいいのさ”、と思っているキャデイが殆どということでもある。

 

指名できるキャディ、でも総スカン

 こんなキャデイ達であるから、最初に行ったゴルフ場はおろか、慣れてきても、キャデイを指名しろなんて言われたって、誰を指名して良いか分からないし、誰を指名しても50歩100歩と思っているから、このTATゴルフクラブでも、比較的可愛くて色の白い子を選んだ。これが当った。素晴らしいのではなく、何にも知らない、何にもしない、気が利かない、でも、話するのは人一倍好きという女性だからだ。更に、言っておくと、フィリピン女性は、どんな時でも浮気(と言うかどうかだが)を許さない。次来た時も、このキャデイを指名しないと、本人からはもちろん、他のキャデイからも総スカンを喰うのである。フィリピンらしい話だ。これは、後で書くカラオケバーでも同じである。

 

キャディって、こんなもん

 ボールを打つ、「何処へ行った?」と私。すると、「何処に行った?」と同伴者にキャデイが聞くのである。「ピンまで、あと、何ヤード?」と聞けば、「110ヤード!」と分かったように自信を持って言う。良く分かったなー、感心、感心と思って、横を見ると、150ヤードの距離マーカー。「160ヤードだろ?」と言えば、「そう言わなかった?」と返ってくる。フィリピン人は自尊心が強いのだ。決して自分が悪いとは言わない。ともかく、こんな会話が続くキャデイであり、ゴルフだった。私は、どうせ、どんなキャデイでも、助けにならないのなら同じだから、可愛い方が良い、と良く日本から初めて来た仲間には話していたものだ。

 

TAT(タットゴルフクラブ)の15番 

 TATの15番ホールだったと思うが、パー5の3段池という名物ホールがある。第一打は、最初の小さな池越えで、2番目の池まで230ヤード位。私のドライバーでナイスショットでもめったにこの池に入ることはないので、何時もドライバーを使った。次が、この2番目の池手前から3番目の池手前まで、約150ヤード。ここは、7番アイアン。続いて、3番目の池手前からグリーンまでが、130ヤード位で、8番か、9番アイアンで打つのが通常の私のゴルフである。

 

このホールで事故は起きた。

                (つづく・・・)

七夕(たなばた)

昨今の七夕

 昨日は、7月7日の七夕(たなばた)だった。しかし、コロナ禍や7月3日に発生した熱海の土石流のニュースでもちきりで、七夕の ”た”の字も出ない。かろうじて、あるテレビ放送局には、お飾りが付いた小さな笹竹が飾ってあったことが幸いである。

 

昔の七夕

 その昔、七夕と言えば、各家庭にとっても一大行事だった。父親が山に行き大きな竹を切り出してくる。子供たちは、短冊に願い事を一杯書く。そしてそれを竹の枝に飾っていくのだ。一つの願い事だけでは、竹がにぎやかにならないので、沢山の願い事を書くのだ。そして、そのほかの飾りも付け、家の隅に取り付けて、七夕行事は終わる。

 この頃の竹は、小さな竹ではなく、太さが5センチもあるほどの大きなものだったから、飾りつけも大変だったが、子どもたちが親と一緒にワイワイ言いながら飾りつけをしたものである。そして、翌日には、その竹をもって海に流しに行くのだ。願いを込めて。

 

仙台の七夕祭り

 昔、仙台の七夕を見に行ったことがある。東北はもちろんのこと、関東でも、茨城や栃木県の人たちは、その昔、一度や二度は東北の地、仙台まで出かけて行った経験があると思う。テレビなどで見る限り、今もそうだろうが、昔も、それは豪華なものだった。田舎では都会のことを”町場(まちば)”と言い、「まちばは、すげえなー」などと言いながら見物したものである。

 

七夕の日

 私たちの地域では7月7日が七夕であるが、仙台の七夕祭りは、1か月遅れの8月6日から8日に開催されるそうである。1か月遅れということは知ってはいたが、旧暦で開催するものだとばかり思っていた。これも、思い込みである。ブログをこうして始めるようになってから、大分 ”思いこみ” が是正された。今年の旧暦の7月7日は、新暦では8月の14日か15日である。つまりお盆の時期に重なるのである。毎年、そういうこともあってかどうかは分からぬが、その1週間前に開催されるようだ。この日程の選び方について色々調べてゆくと、「伊達政宗がその昔・・・」というような逸話も残されているようなので、それなりの理由があるんだろうと思われる。

 

五節句

 七夕は(しちせきの節句)と呼ばれ、1月7日、3月3日、5月5日、9月9日と併せ、五節句と言われる。季節の変わり目を指す言葉である。牽牛星織女星の逸話はご存知だろうが、女性の針仕事が上手になるよう願い、豊作を願う日だそうである。ただ、旧暦と新暦では約1か月の違いが出ているので、季節感が少し違ってくる。

 

 私が子育てしている頃は、アパート暮らしであったが、それでも、小さな笹竹を買ってきて、それに短冊を子供たちと一緒に飾り楽しんだものである。今の子供たちは楽しんでいるのだろうか。携帯のゲームだけが「思い出」では、悲しい。

               (つづく・・・)

 

 

世界おもしろ昔のはなし㉝

ゴルフ場でのボール売り

 フィリピン特有と言えば、ゴルフ場での「ボール売り」だ。子供であったり、若い女の子であったり、たまには、男の子もいるには居るが、余り人気はない。やはり、おじさんは、若い女性が好きだ。この「ボール」は、林や谷底に打ち込んだOBボールを拾い集め、綺麗に洗い、傷が付いた所には、白い塗料を塗って、「新品のように見せかけたボール」=ロストボールを売っているのである。一般的に町で、1ダース1000ペソから1500ペソする(50ペソ/個程度)ボールが、この「見せかけボール」だと、10個とかで、200ペソとか300ペソで売っているのである。これを、値切って、150ペソとか250ペソにして買うのである。50ペソの値切りは、お金が惜しい訳ではなく、値切りを楽しんでいるのだ。一方、売る側のフィリピン人も、値切りは当然計算して値を付けている。双方合意の上での値切り合戦なのである。そして、これもまた、彼らの生活の為にしていることである。

 

風呂なんてあるの? 

 ゴルフのプレイも楽しいが、プレイ後の食事がまた楽しい。日本はハーフずつ回るが、日本だけ特殊で、何処の国でゴルフをしても、18ホールを「通し」で回る。フィリピンも同じシステムだ。プレー後に、風呂に入り食事である。風呂なんてあるの? と疑問の向きもあろうと思う。特に、TATの場合は、日本のゴルフ場にあるような、銭湯ばりの大きなお風呂があった。ここに入ると、日本を思い出したものである。一般的には、シャワーを浴びるだけである。

 

楽しく安い、懇親会

 当然ながら、お酒も入る。フィリピンでは、我々外国人や裕福な家庭の人達は、ドライバー付きなので、お酒を飲んでも差し支えなく、こんな芸当が出来るのだ。それに、一人500ペソ位と安く美味しい食事なのだ。特に、TATは、その昔、日本人コックが教えたとかで、結構日本人向けする食事が出てくる。また、ビールは飲み放題状態である。理由は簡単、250ml位の瓶が、40ペソ位の安さなのである。5本飲んでも200ペソ〈400円)だ。それに、一人、1、2品程度の料理・つまみを取っても、200ペソ位、〆て400ペソから500ペソも食べ、飲んだら、動けないほどなのである。皆で、今日のゴルフ結果の反省や、キャデイの話や、日頃の仕事の話など四方山話に花を咲かせる、楽しい一時である。単身赴任者も、ここで、日頃の寂しさの憂さを晴らすのである。これが、コンペともなると、表彰式、そして入賞者の挨拶などが入り、一層盛り上がり、宴会状態になる。毎週、週末はお昼から宴会ということに相成るのである。

 

フィリピンのゴルフ場の難しさ

 ゴルフ好きには、興味があると思うので、念のため申し添えると、フィリピンのゴルフ場は、一般的に、「距離は長いが、グリーンはやさしい」と言われるようである。確かに距離は長い。グリーンは易しかったかどうか、今になっては覚えていない。ただ、バンカーの位置なども、日本ほど戦略的でなかったようには思った。

 いずれにしても、一流のコース作成者が作ったゴルフ場なので、そんないい加減なものでないことは確かだ。

                 (つづく・・・)

CO2を食べる水素菌

 たまたま、テレビを視ている中で、同じような話題が重なったので、ブログにして残しておこうと思った。地球温暖化に関する話題である。

 

CO2を食べる水素菌

 どういうものかよく分からぬが、CO2を食べる水素菌というものがあるのだそうだ。この発想は、地球温暖化を防ごうということから発したものである。ポリエチレンの原料となるエタノールをCO2から創り出すというもの。つまり、CO2を使ってポリエチレンを製造する訳だから、CO2を食べることになるのである。この研究は大分前から行われていて、特許も取得し本格的に、産業として始まっているものらしい。

 

CO2回収器

 スイスでCO2回収器なるものが設置された画面が映し出された。換気扇を一杯取付けたような機械だ。初め冗談かと思った。それというのも、大気中に0.1%以下しかないCO2を直接吸引して回収する機械だというからだ。大真面目な研究で、スイスで進んでいるという。通常のCO2対策と言えば、CO2を利用する技術と回収貯留する技術である。この回収を研究している会社は、チューリッヒを拠点とする会社で、自動車メーカーのAudiも参加している研究という。この技術はある意味シンプルで、大気中のカーボンを大きなパイプで吸い込み、フィルターで回収、特殊な方法で分離して濃厚CO2として回収するそうで、残ったきれいな空気は、大気中に戻されるという。

 

寿司が食べられなくなる?

 私の大好きなカニなどの甲殻類が、CO2のせいで食べられなくなるという話。海水は弱アルカリ性であるが、CO2が多くなるとこれが海水の溶け、炭酸水のように酸性により近づくという話である。カニなどの殻は、酸性に弱いので、こうした現象でカニなどが生息しにくくなり、寿司などの食卓に影響が出るという、面白い話?だった。地球の温暖化で、北極の氷が解けて海水面が上昇し、南太平洋の島々が水没するという話は、極めて分かり易い話であるが、寿司ネタが枯渇するという話にはなかなか結び付かなかった。

 

なぜ、CO2が温暖化に関係する?

 CO2と温暖化って、なかなか結び付かない。「二酸化炭素が多くなると、どうして地球の大気の温度が上がるんだ?」という疑問だ。温室効果ガスの一つであるCO2が多くなると、地球の熱放射に影響を及ぼして、地球の温度が上昇するという地球温暖化の話である。地球の温暖化そのものは、地球の傾き角度や太陽を回る軌道などの影響で太陽からの熱の供給事情も変わるそうである。いろいろ調べてゆくと、CO2に影響を受けるとする考え方に疑問を唱える科学者がいるのだそうだ。地球の気温の上昇とCO2の排出量に因果関係がないとする科学者と、関係が大いにあるという大多数の科学者との間の論争のようである。

 つまり、南太平洋の島々が水没するという話にはならないとする主張もあるということ。それにしても、温室効果ガスがなかったら、現在の地球の平均気温15℃が-15℃になるんだそうで、温室効果ガスの効果は、30度にもなるんだそうだ。

 

ピンチがチャンス 

 いずれにしても、ピンチがチャンスとは言うが、地球温暖化という、いわば、地球の危機ではあるが、その一方で、その対策の一環として、色々な産業、技術が開発される。こうしたことで、日夜努力されている人たちには頭が下がる思いである。

 最近太り気味であるが、これもチャンスに結び付けるか・・・・。では、

               (つづく・・・)

 

 

 

 

 

 

世界おもしろ昔のはなし㉜

 今回は、フィリピンでのゴルフの話だ。フィリピンでのゴルフの楽しさ、費用など触れてみたいと思う。

 

通常のゴルフ

 毎週、土、日曜日のゴルフは、駐在者にとって、いわば、常識の範疇だった。

 前日、前もって、ピックアップに来る時間をドライバーに言っておく。通常は、早朝6時から7時の間位である。車で、30分、40分も走れば、ゴルフ場は、幾つもある。私の日本のふるさととも、同じような条件である。もちろん、遠出するときなどは、4時起き等もあったし、1泊で行くこともあった。

 取引先の方々に懇意にして頂いていたので、彼らが会員であるTATゴルフコース(私も一時会員になっていたが、帰国が決まり1年で止めた)に良く行った。もちろん取引先と言っても、費用は各自持ちであることに変わりはない。ただ、毎週彼らが予約を取ってくれていたので、土、日と2回彼らと回った。馬鹿を言いながら、チョコレートと言っても、前半200ペソ、後半200ペソ、総合200ペソという、最大負けても、600ペソ(約千二百円)と言う小口掛けゴルフもして楽しんだ。

 ゴルフ場のプレイ費は、赴任した当初は、1500ペソ以下位でプレイ出来たが、帰る頃は、2000ペソ位に値上げされていた。それに、キャデイに500ペソと言うのが相場。即ち、食事なしで、2000ペソから2500ペソである。

 

キャデイや働く人々

 キャデイは、並みいる美女たちから自分で選ぶのである。「美女」とは言うが、一般的に、色は黒く顔立ちは良くないが、取り得は若くスタイルが良いことと愛嬌がとてもいいこと。そんな中から「美人」を選ぶのである。中には、ホリが深く、色白で、胸も大きい美人もいる。

 フィリピンでは、こうしたキャデイ以外に、「Umbrella Girl」という「傘持ち女性」がいて、コースを18ホールついて回るシステムのあるゴルフ場もあった。でもこうしたゴルフ場は稀だった。通常は、キャリーにバッグを積んで、キャデイが引っ張って歩く訳だが、ゴルフバックを担ぐ男性がいるゴルフ場もある。こうしたゴルフ場だと、プレイ費以外に、キャデイ(バッグ担ぎ兼用=男性)に500ペソ、傘持ち女性に300ペソ程度。通常の我々のゴルフでは、傘持ちは付けない。更に、コースには池が付きものだが、通称、「カッパ」=池に入ったボールの拾い役の男の子、が池に入って、ボールが池に入るのを待っている。曲げてボールが池に入ると、落下点まで泥水の中を泳いで行き、足でボールをまさぐり、拾い上げ、18ホールを終わった段階で、これらのボールを返してくれるのである。この男の子に、一人100ペソ(4人で400ペソ)払うのである。人件費が安い、フィリピンならではのシステムである。でも、こうしたゴルフ場は、トータルのプレイ代は当然ながら高くなる。

 

ゴルフの楽しみ 

 60前後のおじさんが、10代後半から20代前半の、黒いには黒いが若い娘のような「美人」と回れるのである。それも、話をしながらである。彼女たちにとっては、ゴルファーは、年寄りでもチップを500ペソもくれる客なのである。普段なら相手にしてくれないが、本気かどうかは分からないが、愛想?笑いをして会話に入ってきて、一緒に笑い、話してくれる存在なのだ。これが結構楽しいのである。若い人には、こうした女性を、口説く輩もいるらしい。フィリピン女性の名誉の為言うが、決して、フィリピン女性は、身持ちが悪い訳ではない。むしろ、律儀な女性が多い。キャデイは、独身女性も結構いるが、大体が、若くして未亡人になった女性が圧倒的に多い。10代後半で結婚し、子供が一人位出来た所で、旦那に浮気をされ、離婚した女性、従って、20歳前後の未亡人女性が多いのだ。これらの女性が一家を支えているのである。

 500ペソ/日で週3回位お客が付いてくれれば、御の字なのだ。4500ペソ/月では、やっとだが、それでも家族2人で生活が出来る。この給与で、更に両親を含めた5人家族位を養っている者さえいる。

              (つづく・・・)

土石流

 昨夜は、お酒を飲みながらの演歌視聴だった。私にとっては、最高の組み合わせで楽しんでいる時、「お父さん!視て視て! 1(チャンネル)!」という女房の甲高い声。「全く、うるせいな。こちとら、楽しんでいるのに。どこを見てたっていいじゃーないか」と、放っておいた。すると、5分もしないうちに、またもや「1(イチ)、1(イチ)!」と叫ぶではないか。何事?と思い、折角、女性歌手が出て来たのに~、と思いながら、チャンネルを変えると、目に飛び込んできた。

 

緊張感漂う、土石流の映像

 それにしても、けたたましい。今まで他で起こった土石流も同じだったのだろうが、今回の熱海のものは、視聴者が動画で撮ったものを投稿してくれたので、熱海で起こっていることが、自分の家の近くで起こっているような錯覚を覚えるほどのものだった。

 土石流とは、土砂が雨水や地下水と混合して、河川渓流などを流下する現象のことだそうで、傾斜地に多く見られる。伊豆半島などは、山が海岸近くまで迫っており、崖のような土地が多いようだ。取り分け、熱海はその様相が顕著である。それが故、景観が素晴らしいということもあるのだろう。美しいバラには棘があるとはよく言ったものだ。

 

繰り返される、住民の声

 今朝の新聞や昨夜のニュースで、近くの住民の話が紹介された。今まで、70年、80年生きてきたが、こんなことは起こらなかった、という話である。東日本の津波も、熊本地震も、阪神淡路の大地震も、広島の土石流も同様だった。災害のたびに繰り返される、「今までは起こらなかった」「そんなことが起こるとは思わなかった」。

 こんな話を聞くたびに、日常的に行われていた、三陸の小学校の防災訓練を思い出す。そして、「全員助かったのは偶然じゃないんです。必然です」と言うことばだ。もう大分経つが、地域の役員になって、防災に力を入れようと思い、防災士の勉強をした。そして、地域の住民の方々にアンケートを取り、地域ぐるみでの防災訓練も始めた。防災意識を高めるためだった。

 役員を外れて(正確には、役員の末席にアドバイザーのような立場で名前を登録されている)から、丁度、コロナも始まり、防災訓練も縁遠くなっている。新役員の中には、「防災って、コロナの中、何をやったらいいんですかね」と聞く人も出てくる。

 

醸成が必要な、避難感

 こういう被害が出る度に、何をやったらいいんだろうかと考えさせられる。地域住民の方々に、常に「危機感」と「避難感」を養い維持する必要性を感じるのだ。「今は、避難しなければヤバイ!」と感じさせる避難感である。極端な話ハザードマップ関係ない、自治体の危険情報関係ない、そして避難警報が3でも4でも関係ない。人のせいにしたって、何の保障が出たって、愛する人、家族を失ってしまったら何にもならないのだ。自治体の至れり尽くせりはありがたい。でも、「自分の身は自分で守る」のが防災の基本だ。そのために日頃から「避難感」を養わないととつくづく感じさせる。そのために何をやるか、また、宿題を預けられた。

        (今日、2回目の投稿になった。  つづく・・・)

 

世界おもしろ昔のはなし㉛

 この記事は、㉙として載せるつんりだったが、㉚のものを㉙として載せてしまったので、㉛として載せる。従って、話が前後するが、記事内容には影響ない。

 

 最初の1年があっという間に過ぎ、フィリピンでの生活、楽しみ方など、ある程度分かってきた。マカティでのカラオケにも飽きて、生活の充実を求めた。

 

2年目の住居探し

 住居の1年契約が終わり2年目に入ることに備え、2年目以降の住居探しに、それまでに色々なコンドミを見て回っていた。まず、1年間の経験から、バスタブがあること、そして、風光明美で、空気が綺麗な場所に住みたかった。マカテイ市内の1年目のコンドミは、24階ということもあり、遠く、マニラ湾まで見渡せ、それはそれは、見晴らしは本当に素晴らしかった。が、遠くマニラ湾を眺めると、晴れた日など、水平面上に薄っすらとスモッグが掛っているのが見えるのである。と同時に、マニラに住み始めてから、咳や痰が絡むように、ゴホンゴホンと出て、空気が綺麗でないことは分かっていた。

 

アラバン地区の新住居

 そこで、マニラ近郊で2番目に日本人が多く住むAlabang(アラバン)地区に焦点を絞り、沢山のコンドミを見て回った。ドライバー付き、即ち、自分で運転が出来ないというのがネックとなり、マニラでは、買い物が、好きな時間に、好きなように出来なかったことから、歩いても行けるスーパーマーケットが近くにあることも新コンドミを決める条件になった。このようにして、2年目以降の住居が決まったのである。結局、居心地がよく、残りの4年半をここで過ごすことになった。

 

部屋の間取り

 間取りを紹介しよう。最初のマニラでのコンドミは、ベッドルーム(8畳間位)に食堂兼居間(12畳位)、そして、シャワールーム(3畳位)にメイドルーム(3畳でシャワー付)という間取りで、すべてが大きくできており、メイドルームまであった。一方、アラバンでの間取りは、食堂兼居間(6畳位)とベッドルーム(4畳半位)、そしてバスタブ付きシャワールーム(4畳位)で、一人で過ごすには丁度良い広さだった。そして、このアラバンの住居は、なんとホテルタイプのコンドミだった。部屋のオーナーがいる部屋(貸出しコンドミ)とホテルの部屋(ホテル)が混在しているシステムになっていた。従って部屋代は、ホテルに支払うのではなく、オーナー個人に支払うのである。

 

引っ越し

  フィリピンでの住居を選ぶ場合、「家具付」と「家具無」があるが、日本人の場合、程度の差はあるものの、殆どが、「家具付」を選んだ。テレビ、洗濯機、掃除機(乾燥機有り無し)、電子レンジ、冷蔵庫、トースター、炊飯器(これは日本から持参したものを使った)、鍋、皿、フライパン(これも新たに現地で購入)、ともかく、主だったものは何でも揃っている。また、入居する時に、無いものをオーナーに要求すれば、買って揃えてくれる。例えば、リビングだけではなく、寝室にもテレビを付けてくれ、と言えば2台目のテレビも付けてくれた。但し、鍋やフライパンなどは、フィリピン製であったため、数回使うと底に食材がこびりつき使い物にならない粗悪品だったため、自分で外国製を選んで購入した。

 つまり、引っ越しは、いたって簡単で身一つで行けば、食材さえ買い揃えれば、当日から生活ができたのである。

             (つづく・・・)