ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㊷

撤退(解雇)発表後の急な仕事

 発表が金曜日であった事は既に書いた。我々の描いたストーリーは、撤退を聞きカリカリしている従業員の頭を冷やさせる時間、即ち、土、日を設けるため、発表は金曜日にした。ところが、困ったことが起きた。顧客からの突然の要求で、製品を急に納める必要が出来て、次の、土、日出勤で仕事をしないといけなくなったのである。

 後日談であるが、いきり立つ従業員を一生懸命なだめてくれたあのメルが、今回も、従業員を自宅に連れて行き、どうせ辞めるなら、今の内に沢山働いてお金を沢山もらった方が良いのではないかと説得し、翌日の土曜日、日曜日に休日出勤をさせるという離れ業をやってのけたのである。

 

撤退発表時の親会社の対応

 尚、当日は、親会社本社総務部長、事業副本部長も説明会に備えて、日本から出張して同席して頂いた。事業撤退の主役は、当然ながら現地会社社長(私)、フィリピン人総務課長、労働省役員、弁護士であったため、コンサルも含め、彼らは説明を受ける従業員の後方で、事の成り行きを見守っていた。

 

(解雇説明から解雇まで)

一人も出なかった欠勤者

 8/4(金)が説明日。8/5,6と会社休日(実際には、この土、日は休日出勤となった)。そして、8/7月曜日の出勤日が訪れた。誰しも、かなりの数の欠勤者を予想していた。所がである。一人の欠勤者も出なかったのである。メルの根回しが効いたのか、はたまた、日頃の交流の賜物か、ともかく、一人も欠勤はなかったのである。

 これには、コンサルも驚いたようである。説明後、危険だから1週間程度はホテルにでも雲隠れした方が良いと言っていたのである。事実、我々も通常通り出勤はしたものの、高速道路出口で日本人同士待ち合わせ、車を連ねて出勤という体制を取った。

 

本当によくやってくれた従業員

 それから、10月末までの約3ヵ月間、本当に従業員は良くやってくれた。合理的とか個人主義とか言われる我々から見れば外国人であるフィリピン人が、休むことなく、最後の最後の日まで、しっかり製品製造をやってくれた。感謝、感激である。

 休まない従業員には、少しばかりの手当てや、ロス率が上がれば手当と、色々な方策をメルと考えながら、製造効率が悪くならないよう対策も取ったが、撤退発表前のロス率より、発表後の方が改善数値が現れた時には、幾ら手当があると言っても更に驚いた。それだけメルが良く作業員を管理してくれたと言うことだろう。

 

いよいよ解雇日がやってきた

 3年も前から、従業員初め、関係者に隠密に進めてきた事業撤退計画。フィリピンでは、解雇日=解雇通知が当たり前のフィリピンで、3か月前の8月、事業撤退(=解雇)する旨を公開した。そして、何事もなければ良いがとの願いを込めたその解雇日、10/28(土)がいよいよやってきたのである。

 翌日の29日から31日まで3日間は計ったように国民休日だった。

       (つづく、・・・。次回、解雇日の様子を・・・)