ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(58)

少し、会社に関係することの報告になってしまうが・・・。ただ、海外で働くとこういった仕事もあるという事例として読んで頂きたい。

 

グループ社連絡会

 どこの国でもそうであるが、日本に親会社があり、その親会社はもちろん、子会社が海外に進出しだすと、その親会社を含めた子会社のグループで連絡会を作るのである。「マニラ連絡会」と便宜上書くことにする。今まで、一部事業撤退などの社内業務が忙しい時期に、実は、会長就任打診があった。その当時、親会社の現地社長である会長からの打診であった。勿論、その会長も含めて、社内秘の計画は話す訳にはいかないので、別の理由を言ってお断りし続けた。その会長は帰国し、その後、別の親会社の現地社長が引き受けてやっていた。

 

グループ連絡会会長を引き受ける

 その後にお鉢が回って来た。この時も実はお断りをした。私なりの考えがあった。それは、親会社のマニラ連絡会である。グループ会社は数社あったし、そこには社長を受けて頂くような規模の大きな会社もあった。そうした中で、私は、現地に親会社の現地法人があるのだから、我々のようなグループ会社が会長職をお引き受けすべきでないという思いがあり、副会長ならとお引き受けしていた。

 しかし、日本の経済状況が反映されてきたのか、どんどん各社の社長が変わっていったのである。一番大きな親会社の現地社長は、何と外国人になってしまったのである。今まで、日本人しかいなかった連絡会にも外国人が入ることになり、英語で資料作り、話をしなければならないか、ということが盛んに議論されていた時期だった。

 従って、フィリピンに経験の浅い現地法人社長が多くなってきたことにより、既に、赴任後4年も(といっても、20年近くいる社長もいた)経っており、古い方から数えて2、3番目に入るようになっていた私は、今や、理由を並べてお断りするような状況になかった。それでお引き受けすることになったのである。

 

グループ連絡会のやること 

 マニラ連絡会の所属会社は20社あった。これらの社長(代表者)が集まり、連絡会や懇親会をする会であった。特に重要なのは、連絡会・意見交換会・そして情報交換会であった。毎月一回の開催である。

 そこで、まず、親会社からの連絡事項がグループ各社に連絡された。例えば、海外生産比率を50%以上にするとかといった連絡が徹底された。更に、各社の問題を披歴し合い、その内容を吟味し、疑問点を明らかにし、各社で参考に出来ることを取り入れ実践していった。

 

連絡会の具体的な活動

 更には、例えば購買では共同購買に挑戦もした。日本に帰る時のチケットの購入先を絞ることで、金額を低減した。同様に、日本からの出張者の泊まるホテルを1、2か所に絞ることで、宿泊費・経費の節減を図った。更には、工場のある各団地の電気代などの比較を行い、各社の電気代の低減をグループを代表して政府に申し入れるというようなこともやった。話はそれるが、そういった政府に申し入れが出来たのも、親会社グループで政府要人との会食などの機会も企画していたから出来た。

 また、親会社リスク対策本部の幹部を招き、リスク・誘拐などを避けるための講演会や、組合結成が各社で問題になっていると聞けば、その手の企業コンサルタントや専門家の話を聞く講演会を企画した。そうかと思えば、フィリピン人従業員の教育や対応に対しどうするかを、大学の先生を招き講演頂いたりもしたのである。

 

楽しかった連絡会行事 

 こうした、会社経営上の助けになる事も多かったが、このマニラ連絡会の後に、日本食レストランで開かれる食事会が楽しかった。目的を一にする同士が集まって飲み食いする訳であるから楽しくない筈がない。日頃の不満も出るが、ここでも情報交換が図られたし、同時に遊びの話もまとまった。

  マニラ連絡会では、年に2、3回程度であったが、ゴルフ会もあった。毎回、殆どの会社が参加し、社長ばかりでなく、大きな会社・幹事社・会長社は、色々な雑務があるため、2名参加する事もあったので、不参加の社を入れても、毎回20名程度の参加はあった。少し、遠出をして、一泊で実施する事もあった。優勝賞品などは、質素なものであったが、その都度、皆で大いに楽しんだものである。機会があれば、別な場所で詳細な内容について披歴してみたいと思う。

     (つづく、・・・)