ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(63)

ラジオ体操

 ラジオ体操が、8時5分前から始まる。従業員の皆に挨拶し、声を掛けながら外に出て、広場(顧客用駐車場)に集合。日本のラジオ体操の音楽が鳴り出す。音楽ばかりではない、懐かしい「ラジオ体操!第一!」という声も日本語のままだ。フィリピン人も、旨いとはいえないまでも、かなり上手に体操が出来る。ただ、飛び跳ねる動きがあるが、これだけは、殆どの人が飛ばなかった。帰るまで、なぜか聞いたことなかったが、フィリピン人女性は胸が大きいので、それが目立つのが嫌なのか、激しい運動が嫌なのか、多分どちらかだろう。

 

朝礼 

 その後業務に入る。月曜日は違った。全員朝礼を実施するのである。昼勤社員と夜勤社員がいるが、昼勤社員だけの朝礼なので、200名~300名程の社員が集った。全員、作業服姿である。話はそれるが、作業服の上は、Tシャツタイプの作業服である。作業服も厚手のもの、薄手のもの、色も色々のものが候補に登り、その都度、従業員のアンケートなどを取り、検討した結果の現在の作業服である。

 まず、社長の挨拶、訓示、指示。先月の各部門の実績、売上、利益の発表。次に今月の仕事量、予想される売上、残業量などを発表し説明する。更に、トピックス。例えば、今月何日に日本から誰それが来て、こんな機械を据え付ける、といったことや、トヨタ自動車から、無事故(無異常品)の表彰を受けた、などなど、従業員が興味を覚えるような事を話した。約15分の挨拶である。

 社長挨拶の後は、異常品率や異常内容を品証課の主任に発表させた。また、時には、トピックスを話す従業員、そして、最後は、マネージャーに毎月輪番制で話をさせた。

 仕事の内容は、これまで述べてきたので、ここでは省略する。

 

日常業務

 ただ、メールが毎日100件以上入り、これの応対、返信で、毎日午前中の殆どを過ごした。勤務時間は、基本的に8時間。お昼は、コーヒーや味噌汁(インスタント)を飲みながら、持参の弁当を食べた。これが結構、自分で作った弁当とは言え美味しかった。午後5時終業である。日本と同じように、勤務の切れ目切れ目には、チャイム(音楽)がなった。これは、生産技術の人間が管理していた。時々、1、2分、たまには5分程時計が狂うが、フィリピン人は、こんなことでは文句も言わないし気にしない。ここもフィリピンらしい所である。

 

時報がない?

 そもそも、テレビなどで、時報らしいものを聞いたことが無い。各自が持っている時計の示す時間は、どれを見ても同じものが一つとしてない。違うのが当たり前の世界なのだ。時間通りに動くものを見たことが無いと言ったら言い過ぎだろうか。電車はない。マニラ近郊にはあるにはあるが、殆ど普及していないし、それに時刻表らしきものはない。バスは、殆どが長距離バスで、それには、始発時間の時刻表はあるらしいが、(ここでは当たり前だが)5分や10分遅れるのは当たり前のようだ。乗り物は、別項で触れる。

 

帰社、帰宅時間

 話を戻そう。帰社時間である。大体、定時(午後5時)に日本人の業務が終わったためしがない。帰社は、18時から18時半が普通で、遅い時は、19時、20時というのもあった。特別の打ち合わせなどで長引いた時などは、21時過ぎになることも。

 それから、1時間半の通勤である。しかし、帰りは、道路が込み2時間は当たり前、ひどい時は3時間も掛るというような時もあった。従って、家に帰るのは、早くて20時である。それから、夕食を作り、食べて、シャワーを浴びて、寝るという1日だった。

 

夕食時間 

 家に帰るのが遅くなることや、最初の4年は、単身赴任者が多かったこともあって、週5日の勤務の内、4日位は、帰宅途中でレストラン(食堂)に寄り、皆で、夕食を囲むことが多かった。しかし、残りの1年半位は、単身者が少なくなり、一人で夕食を食べる回数が多くなり、家で食べるのが4日、残り1日を皆で食べる、というように逆転した。皆で食べる夕食の様子は、また別項で書く。

      (つづく、・・・)