ミドさんのブログ

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世界おもしろ昔のはなし(72)(メードの話①)

 いよいよ、フィリピンの話も佳境に入ってきた。5年半の滞在で殆どメードを雇わなかった。そうなった理由を述べてみたい。

 

お手伝いさんとメード

 日本人社会では、「メード」と言う「ことば」は、ほとんど使わない。昔だったら、「住み込みのお手伝いさん」という所だろう。でも、今の世の中、こうしたお手伝いさんを使っている家庭は非常に稀である。今の若い人には、「お手伝いさん」「女中」といったことば自体が、分からないのではないかと思う。

 いわゆる、他所の家庭に入って、家事一切をする女性のことである。掃除・洗濯・食事の準備、子どもの世話などなど。外国のメードも同じような意味で使われている。

 

メードの資質

 「メード」という「言葉」の淡い期待、男は、所謂、綺麗で可愛いメードを期待するものである。何する訳でもないが、醜いより綺麗な方が良い、ブスより可愛い方が良い、という論理である。所が、この国では、そのような女性は、カラオケや居酒屋などで働くのだ。メードとして残るのは、それほどきれいでない女性、中年女性というのが一般的なようで、若い、綺麗な、可愛い女性はまずいない。雇い主の所に寝泊まりしたり、給与が安いからであるが、食事作りを始め、家事が出来ないと務まらないことから、ある程度経験を積んだ中年女性が喜ばれたようだ。

 

メードを探す

 私も、当初、メードを探そうとしてみた。が、日本食が出来る、出来ないというより、料理自体がまともに出来るメードは、いないとも聞いていたので、全く興味(雇う気)が湧かなかった。

 良く出入りしていた日本食レストランで、そこの日本人コック兼経営者(奥さんがフィリピン人)と親しくなり、ある時、奥さんの姪が田舎から出てきて同居しているが、彼女が働きがっている。メードとしてどうかと言われた。このコックとは、仲良くしてもらっていることもあり、「お付合い」ということも考え、面接して良ければ雇うことにした。日本人コックさんとその奥さん、メードになる姪、と会ってみた。フィリピン人特有の浅黒い肌で、決して美人とは言えないが、無口で、若い(16歳)からあどけなく幼い可愛さがある。本来、フィリピンでは、18歳未満は働いてはいけないのだ。それなのに、なぜ、16歳で職を見つけようとするのか。

 

フィリピンの教育制度

 ここで横道にそれるが、フィリピンの当時(10年前)の教育制度を説明する。

 小学校は6年である。中学校・高校、所謂、ハイスクールは4年なのだ。従って、ここまで学校生活は10年だから、高卒は16歳ということになる。ここから先は、短大・大学に進む。それらは2年、4年、更にそれ以上もあるが、一般市民は、せいぜい行って大学までである。すると、20歳で学卒となるのだ。ただ、ここまで行けるのは、比較的裕福な家庭で、田舎で貧乏な家庭に育った子供達は、ハイスクールさえ満足に出ていないのである。一方、フィリピンの法律では、18歳未満は働けない事になっている。従って、ハイスクールを卒業しても2年間は、働けないし、収入もないのだ。家でブラブラということになる。おかしな法律だと思うが、そうなのだから仕方ない。従ってもぐりで働くことになるのだ。しかし、私が帰国後数年で、今では、この法律も変わり学校生活が2年長くなり18歳となっている。

 

最初に雇ったメード

 そして、このメードの話に戻る。この子は、ハイスクールしか出ておらず、田舎から出てきておばさんの家に居候していた。その子を雇ったのである。法律違反だが、日本人コックの親戚ということもあり、雇うことにしたのである。

 実際に雇って、メードルームで住んでもらって、生活してみると、これまた、驚きである。フィリピン人なのに、英語が全く喋れないのである。面接時、叔母さん(コックさんの奥さん)の陰で、恥ずかしそうな、可愛らしい仕草で、無口な女性だったが、無口ではなく、英語がしゃべれないので、話さなかっただけだということが分かった。後の祭りである。

 ここからが大変だった。英語でしゃべっても分からないから、手振り、身振りで当方の意思を伝えるしかない。お陰で、ジャスチャーが得意になった。

       (つづく、・・・)