ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(1)

 「世界おもしろ昔のはなし」として(1)から(86)迄書いてきた。会社員として最初の海外出張から最後の海外出張までの思い出をつづった。古い話は、既に半世紀にもなるが、当時は、こんなことをブログに書こうと言うようなことを考えてもいなかったし、ブログなんてものもなかったので、当時のメモすら残してない。しかし、フィリピンは定年5年前に赴任したこともあり、「定年後」を見据え、出来事をメモに書き残した。それを書き連ねて自叙伝にしたり、「サラマッポ」という本を作ったりして来た。それだけに、フィリピンは思い出深い国であるし、それ以上に私にとって魅力のある国であると同時に、我が人生にも大きな爪痕を残した。

 「昔のはなし」としてではなく、「フィリピンの魅力」について、今後、書いてみたいと思う。そのベースになるのは、我が拙書「サラマッポ」である。

 

「サラマッポ」の出だし

 『「何も持たないですぐ逃げて下さい」あの東日本大震災からちょうど8年を迎える。人間は、何も持たないで生まれ、何も持たないで死ぬ。しかし、「何も持たない」ということに対して、ある種の恐怖は誰しも持っているものだ。これは、モノの中に生きる人間の性なのかもしれない』

 で始まる、「サラマッポ」である。既に、東日本大震災から10年経つ。ここで言いたかったのは、フィリピンの人達は、モノ・カネにどん欲で、人情に厚い、ということを表現したかった。そして、さらに続く。

 

モノに対する人間の執念

『フィリピンは何度も訪問しているが、最初の訪問は海底ケーブル工事の調査だった。その時、道案内の現地の人にタバコをたった一本上げたらすごく対応が変わった』

 この時は、共同で仕事をすることになっていた他社のベテランの人と調査を現地でしたときに話である。そのベテランが、田舎町で人に出会った局面での話だ。日本にも「リベート」ということばがある。相手に利益をもたらし、その見返りに自分(達)に有利にしてもらおうと、金品を上げる行為である。正に形を変えたリベートである。日本のリベートは、欲のツッパリ合いで得る利益であるが、フィリピンお場合は、やむに已まれぬ生きてゆくための利益なのだ。

 

考え方の違い

『それから十年以上も経った2003年11月から2009年5月までの5年半の長期滞在が定年直前にあった。それは、会社員として、また、関連会社の管理者として赴任し、四百人ほどの従業員を抱え、会社の運営を任された』

 5年半、フィリピンにいて、フィリピン人と付き合っていると、日本の風土とは違う日本人とは違う考え方に一杯出会った。理解できることもあるが、理解できないことも多々ある。例えがおかしいかもしれないが、今、秋篠宮家、真子様の結婚で日本中が揺れているが、生まれながらにして宮家に生まれ育った女の子と我々のように一般家庭に生まれた女の子では、考え方が違って当たり前である。そして、フィリピンの場合は、その逆バージョンなのだ。

 

変らぬ気質

 『帰国してから既に十年も経っているので、意識の違いがあるかもしれないとの思いからネットで色々調べてみると、同じことが次から次から出てきて当時を思い起こさせてくれる。つまり、気質なんてものはそうそう変わるものではないということだろう』と続く。

 つまり、人を思いやる気持ち、優しさといった、人間の持つ感情は、生まれ育った環境で大きく変わるもんじゃない、ということだろう。

 

フィリピンに対する誤解

 『自分が海外で経験したことの中で、特に、フィリピンはその中でも、日本人に誤解されている国の一つにあげられる。いつまでも持っていられない経験・思い出なら、是非、皆さんに紹介しておきたいと小書を書く気になった』

 これが、「サラマッポ」を出版するようになったきっかけである。随所にこうした気持ちが出てくると思う。一般の方々のフィリピンに対しての印象とは、大きくかけ離れている。おじさんが、フィリピン女性にのめり込んで、おかしくなってしまった、という話も、フィリピンの魅力に取り付かれてしまった結果だと思う。決して、若い綺麗な可愛いい女性に目がくらんでのめり込んだばかりでは決してない。そこには、フィリピンの魅力があるからである。殺伐とした日本で、是非、こうした魅力を取り戻して欲しいと願うものである。

       (つづく、・・・)