ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(22.掘立小屋)

 今日は、月一回の、近くの神社の清掃の日だ。銀杏の落ち葉が多い。7,8人での清掃だったこともあり、30分程度で終わった。その後、ついでということで、近所にあるお地蔵さんの広場も掃除した。銀杏の落ち葉が一杯だった。

 

掘立小屋

 さて、今日のフィリピンの話題は何にしようか。「掘立小屋」の話題にしよう。

 私たちが子供頃、昭和30年代には、近所の家にも、掘立小屋と言われるような民家が一杯あった。今の時代の人には分からないだろうが、土を掘り、礎石 などを用いず、柱を直接土中に柱を埋め込んで建てる 小屋(家)を言い、転じて、粗末な家に対して使われる表現でもある。戦後の面影が残っていた時代だった。雨戸はあるにはあるが、隙間だらけで、寒い季節の夜にでもなれば、隙間風が入り寒くて仕方ないような家だった。

 

社会貢献作業

 フィリピンの私の会社では、社会貢献という名で、会社のある近所の地域で、歯医者さんを呼んで、地域の人たちの歯の検診をしたり、そうした地域の道路端に木を植えたりというようなこともやっていた。そうした社会貢献の一つとして、従業員に木材を支給する貢献作業もやっていたのである。

 日本にある親会社から、資材類や機械類が届くと廃材として梱包材が残る。この梱包材を従業員に支給する社会貢献である。廃品を捨てないで活用する、今風に言えば、「SDGs」である。

 

対象家庭の選定

 こうした作業には、社内には検討委員会が作られ、そのメンバーが、今年は、誰にしようかと真剣に話し合うのである。当然ながら事前調査をして決めるのだ。こうした廃材を必要とする従業員の家は一杯あり、その選定作業も大変なのである。酷い家庭から優先的に実施するのである。

 今まで、そうした作業は、従業員のグループに任せきりだったが、私も、どういう家庭に廃材が行くのか、家の様子も見てみたいと思い、ある時同行した。

 

現地訪問に同行

 どこの国でもそうだが、貧困家庭が多く住む地域というのはあるもので、・・・地域というような名前の付いた地域さえある。マニラ近郊の町の中心部にはそういった地域はないが、一歩離れると、郊外には結構ある。ましてや、マニラ近郊部から外れて、我々の会社があった、リパ市(マニラより南東に車で2時間)辺りまで行けば、こういった地域はここかしこに存在するのである。それがフィリピンである。

 会社を出て、1時間以上はかかったので、かなりの小さな村である。乗用車で1時間ということは、従業員の通勤時間は2時間近くかかるだろう。何回もジープニーを乗り継いで通勤するのだから。そして、その村は、掘立小屋ばかりが集まったところだった。小屋と床屋の間の小さな人ひとりが通れるような路地をしばらく歩くと、従業員の家に着いた。正に、掘立小屋である。帰国して10年以上経つが、未だにその映像は強烈に頭に刻み込まれている。

 

実際の掘立小屋

 屋根も周りの壁も薄いベニヤ1枚なのだ。それも釘できちんと打ち付けられているベニヤもあれば、斜めに立てかけてあるベニヤ板もある。そのベニヤとベニヤの間にある隙間から家に入る。屋根のベニヤの隙間から日差しが入り、中は電気をつけなくても明るい。入ると、土間があり、その奥に6畳一間の部屋があった。

 土間にはカマドのようなものがあった。そして6畳程度の部屋には、タンスらしき物が一つとちゃぶ台が一つあった。この部屋に、従業員家族と両親が住むのである。どうやって済むのかと首をかしげてしまう。聞くと、ちゃぶ台を土間に出して、そこでみんなで寝るのだそうだ。

 そして、廃材を使いたいと言っているトイレはどこかと裏の方に回る。そこには、天井にベニヤを置き、汚物が入る穴が一つだけの壁もない空間があった。これではいくら家族と言っても女性たちは、嫌だったろう。廃材でも十分に役に立つのである。

 

廃材でも感謝、感謝!

 冒頭に書いた、日本の掘立小屋とは比べ物にならない粗末なものだった。訪問した時もそうであったが、家族全員(6,7人)がニコニコ顔で本当に心から嬉しそうである。こんな状況と分かっていれば、どこかで菓子の一つも買ってお土産にするんだっけと後悔したが、後の祭りだった。

 普通だったら、残材などと称して、燃やしてしまう代物である。それが、こうした住民にとっては建築資材として十分使えるのである。

 

モノを大事に使う

 一方では、ちょっと着古した衣類を簡単に捨ててしまう時代、古くなった、新しい製品が出たと捨ててしまう電気製品など等、これが、今の日本の現状である。

 今や世界のことばになった「もったいない」や「モノを大事に使う」という精神はどこへ行ってしまったのだろうか。