我が家の梅は?
我が家には、もう私以上に長生きの老梅の木(紅梅)と孫のように可愛いい梅の木(白梅)とがある。白梅は、もう大分前から咲き誇り、満開の状態であるが、紅梅がまだなのである。もう半歩と思ったが、今日もまだ開花していない。
今朝も寒いので、午後には咲かないかなー、と言うことで、今日は、東北大震災を話題にしてみたい。
2011年3月11日14時46分
一番大きな被害は、祖父の時代に建てた四脚門の崩壊である。その当時同時に併設されていた土蔵は、グシと壁に被害はあったものの、本体は何事もなかった。
そして、家の中は悲惨なものだった。
屋根のグシはめちゃめちゃになったが、基礎にも亀裂が入った。仏壇や各部屋の中は散乱。どこから手を付けていくか分からない状態。
気が動転、避難が後回しに・・
それより、避難を考えなければいけなかったが、気が動転していて、そんなことに気が回らなかった。そんな状態で、何を思ったか、町中の被害状況を見て回っていた。地域の役員をしていたことがそうさせたのかもしれない。
見回り後、家に帰るところで、車で避難する近所の人に出会い、「逃げないの?すぐ、避難した方が良いよ!」と言われ、やっと、避難しなければ、津波が来るかも、と思い立ち、車で近くの高台にある小学校に避難した。
地域防災の現状
そこから先は、色々あるが、区(地域)としても、地域防災会を結成したり、防災訓練を実施したり、市としても、毎年3/11には、防災訓練を今でも実施している。そして、私も、防災士の資格を取り、自分の市ばかりでなく、県北エリアの色々な市町村に防災について講演や防災訓練指導などして回ったものである。
しかし、11年目を迎える今年、昨年、一昨年と、コロナ影響もあって、地域の防災訓練は中止され、防災のことを思い出し、訓練する機会が減った。
大震災復興は良いことだが、・・・
近隣の町並みを、散歩がてら眺めても、震災後、5年、6年ころまでは、まだ、屋根のグシが壊れたまま、青いシートが屋根にかかったままと言った家が散見されたが、今では、全くなくなった。崩れた堤防も直され、爪痕を残すものはすっかり綺麗になった。復興が完了したことはよいことではあるが、あの時の辛さ、大変さ、反省点等々も、すっかり忘れ去られようとしている。
毎年、3月11日には、各家庭でも、なにかの行事をして、避難することの重要さを思い起こすようにして欲しいものである。