新小学1年生
さっぱり暖かくならない天気。梅も散り、桜の蕾も大きくなったというのに、である。4月はじめと言えば、入学の頃である。昔は、小学校と言えば小高い丘の上にあり、構内の周りには桜の木が植えてあり、新1年生が父兄に手を引かれながら、学校へ行った頃である。あの頃、満開だったよなー、なんて思い出す。多分、蕾の時もあったのだろうが、良い時だけ思い出すものである。
人間って何のために生きているのか
先日、通りゃんせに入ったことは、書いたかどうか忘れたが、近所の友達に、タダ券があるので、寒いから行こうと誘い風呂入りに行った(書いた!)。その折、その友達が、風呂上りに言う。
「人間って、なんのために生きているのかなー」
だって。
その時、何かうまい答えをと思ったが、うまく言えずじまいだった。今日は言いに行こう。
ネットによると・・・
そこで、「人間は何のために生きているのか」と、ネットに問いかけてみた。
色々な答えがあった。
前から気になっていた。
いろいろあった。
松下政経塾生などそうそうたる顔ぶれの方々である。
私の人生
生まれて、学校を卒業し就職し、結婚して子供ができる。この頃になると、子どものため、家族のために生きていると感じるものだ。そして子供たちも一本立ちし、世話がかからなくなる。すると、親を看取らなけりゃー、と考える。子供の務めだと。そして、やがて、それも無くなる。
すると、「人間って、なんのために生きているのかなー」である。
奥さんも亡くなった男やもめ
私のように、自分に何ができるか、残された人生を何に費やすか、という命題を考えたことのある人は、それができる間は、恐らく、「何のために生きているのか」とは考えないが、そういうことも出来なくなった暁には、「生きていても仕方ない」と考えるのかもしれない。
この友人は、2年前の5月1日に奥さんを亡くした。今年が三回忌である。今、誰と誰を呼ぼうか、と考えているそうである。そんなこともあり、こういう命題を思いついたのだろう。
人生は自分で決める
関係するネットの記事をいろいろ読むと、こんなことが書いてある文章に行き当たった。
『「人間(自分)は、何のために生きるのか、既に正しい答えは決められている。」
「自分はそれに辿り着けなければならない、もしくは誰かに答えを与えてもらわなければならない」という前提がある』
『自分の人生は自分で決めると覚悟を決めた途端、あなたは本来のパワーを取り戻す』
生まれていて良かったと思える日
難しく考えなくても、
「生まれてきてよかった、と思える時が来るように、生きている」
という、寅さんの言葉も思い。