ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

もう一超

日課のブログ

 大分、このブログを書くのが空いた。ブログを毎日書くことを目標にしているが、毎日書くことが思い付く日となかなか思い付かない日がある。年をとったせいかと思っていたがどうもそうでもないらしい。思い付くのは、その気でいるかいないか、つまり ”ブログを書く” と言う意識を常に持っているか否かの差だと思う。しかし、”・・・の意識を持つ” ことが、歳を取ると段々おろそかになり、漫然と日々過ごすことが多くなることは確かだ。従って、結論として、”ネタが思い付かない” ことになる。

 

もう一超

 今日は高校野球のネタを書きたいと思う。一生懸命、若いときのように朝から晩まで野球を見ていたわけではないが、たまたまテレビを点けたら優勝した慶応高校の話しに興味を持った。「もう一丁」ならぬ「もう一超」という言葉だ。

 その話しの前に、決勝のVTRで仙台育英と戦った慶応高校の監督が優勝監督としてインタビューを受け ”いいこと言っているなぁー” と感心して聞き入っていた。それで、こ

優勝監督、慶応高校 森林監督         慶応高校 丸田選手  

の監督の顔や挨拶のことを知っていたので、このニュースに興味が沸いた訳だ。

 

自由でオープンな雰囲気

 この番組でも紹介されていたが、高校野球への取り組み方が、今までの有望校の取り組み方とは少し違っていたという。監督の呼び方は「森林監督」ではなく「森林さん」と呼ぶらしい。そして頭髪も高校野球では半ば常識になっている「丸坊主」ではなく、自由で長髪も構わないらしい。

 つまり今時らしい自由でオープンなチームの雰囲気作りがモットーらしい。この雰囲気作りは、高校野球の世界だけではなく、会社にも言えることだ。

 

高校生の作った言葉、「もう一超」

 そうした中でマスコミが取り上げたのが「もう一超」という言葉である。当初森林監督の優勝挨拶を聞いていたあの雰囲気からすると、この言葉は監督自身がチームの目標として定めた言葉だと思った。しかし、そうではなかった。高校生の選手たちから出た言葉だった。もう、この時点でチーム作りは完成していたように感じる。

 選手一人一人が、高校生一人一人が、野球ばかりではなく高校生活も「もう一超」と日頃から鍛錬しているに違いないと思うからだ。

 

教え甲斐のない選手

 そんな中、丸田選手が話題になった。かって中学時代に野球を教えた恩師が言う。「教え甲斐のない、クレバーな選手だった」。決勝で先頭打者ホームランをした丸田選手を称してである。「教え甲斐をない」とは、「教えても仕方ない」のではなく、既に分っている事を称して言っている言葉である。

 足速い丸田選手は塁に出ると必ず盗塁をする選手だそうだが、その選手が仙台育英戦では盗塁をしなかった。その理由を監督が後で問いただすと、バッテリーが盗塁を警戒しているのが分ったからと言ったそうだ。

 

人生の「もう一超」

 我が人生も「もう一超」である。「・・・の意識を持つ」ことで、今までの自分を超えることをしてみたいと思っている。